- 子供の頃から都会暮らし
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生まれも育ちも大阪で、学生として東京近郊に移住してから、2000年に2年間青森市で暮らし、2002年から長野市に移り住んでいます。
走れなくなり、公園を散歩しながら木の名前を覚え始めたました。それがきっかけで、近くの里山に行くようになりました。子供の頃は、近くにあった淀川はヘドロで汚く、夏は光化学スモッグで外に出られないような悪い環境で自然に親しむことを知らずに年を重ねました。自然を観ずに人工物だけがこの世にあるモノと間違った考えで生きてきました。そして、自分の身体まで、医学(科学)で何とかなると思っていた脳が、ようやく自然を観る方向に向き始めたように感じます。これからは、今まで使ってこなかった五感のセンサーを使いこなせるようしたいと思っています。
子供の頃、「アルプスの少女ハイジ」を見ていて、鳥や花に話しかけるハイジを理解できなかったが、今はこのハイジのような自然体になるのが夢です。
- 走ること
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20代からずっと市民ランナーとして走っていて、大会レポートを書いていました。2003年に右足を故障して、その後だましだまし走っていましたが、2011年で止めました。足の神経がおかしくなって、歩くのも不自由ですが、散歩程度ならつまずいても転倒しないので走ることから散歩に切り替えました。今思えば、身体が自然の一部だと言うことを考えなかったを報いだと思います。
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