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はじめに


子供の頃から都会暮らし
 生まれも育ちも大阪で、学生として東京近郊に移住してから、2000年に2年間青森市で暮らし、2002年から長野市に移り住んでいます。
 走れなくなり、公園を散歩しながら木の名前を覚え始めたました。それがきっかけで、近くの里山に行くようになりました。子供の頃は、近くにあった淀川はヘドロで汚く、夏は光化学スモッグで外に出られないような悪い環境で自然に親しむことを知らずに年を重ねました。自然を観ずに人工物だけがこの世にあるモノと間違った考えで生きてきました。そして、自分の身体まで、医学(科学)で何とかなると思っていた脳が、ようやく自然を観る方向に向き始めたように感じます。これからは、今まで使ってこなかった五感のセンサーを使いこなせるようしたいと思っています。
 子供の頃、「アルプスの少女ハイジ」を見ていて、鳥や花に話しかけるハイジを理解できなかったが、今はこのハイジのような自然体になるのが夢です。

走ること
 20代からずっと市民ランナーとして走っていて、大会レポートを書いていました。2003年に右足を故障して、その後だましだまし走っていましたが、2011年で止めました。足の神経がおかしくなって、歩くのも不自由ですが、散歩程度ならつまずいても転倒しないので走ることから散歩に切り替えました。今思えば、身体が自然の一部だと言うことを考えなかったを報いだと思います。
2013年7月10日追記


また引越し
 青森に来て2年で長野に引越すこととなりました。やっと慣れてきたところだったのですが、また引越っしました。幸い、走ることはどこでもできるので心配ありませんが、子供たちは友達とまた別れなければらなくなり、好きな海釣り(弟)やバトミントン(姉:長野の中学で部活がない)ができなくなります。青森では、子供たちは伸び伸びしていて不登校はほとんどないそうです。青森は雪がなければ、本当に住むにはいいところです。

青森を振り返って
 この冬は、雪が少なかったのですが、去年の大雪を経験できて良かったと思っています。テレビなどで雪国のたいへんさを理解したつもりでも、実際に住んでみると一つ一つが驚きの連続でした。そしてその生活に慣れていく身体も驚きでした。氷点下の中、雪の道を毎日走ることは、もうないと思いますが、いつかまた冬に青森に行く機会があったら雪道を走りたいです。
2002年4月9日追記


ホームぺージ開設のきっかけ
 青森に引っ越してきて、青森市に走友会があるかインターネットで検索したのですが、検索できませんでした。いろいろ探しているうちに、全国版のネット走友会の走快ねっとRC を見つけ、会員になりました。
 会員の中に青森県の人はいなかったのですが、個人HPを持っている人が多く、いろんなHPを見ているうちに自分も大会記録を載せようと思いました。

青森について
 青森市に来る前は、青森の印象は、ねぶたとリンゴのイメージしかなく、雪がこんなに降るとは思いませんでした。豪雪地帯は、北陸、日本海側と思っていたので、日本海側でない青森市はそうでもないと思っていました。
 2001年の青森の累積積雪量は1039cmでした。新潟は252cm(過去最高422cm)、富山は328cm((過去最高711cm)、札幌は482cm(過去最高667cm)でした。  青森市は、30万都市の規模としては、世界一の豪雪都市だそうです。
 2月には、積雪が154cmになりました。駅の近くで、旅行客らしい人が、電話で「おまえ、こんな所によく住めるな」と話しているを聞いて、もっともだと思いました。
 雪かきのイメージとして、屋根の雪下ろしを想像していましたが、屋根の雪なんか降ろせません。降ろすと降ろした雪を捨てるのが大変なのです。毎日、家の周りの雪を雪捨て場まで持っていくが一苦労なのです。
 実際に体験してはじめてわかる苦労です。ただ今まで走っていて体力を付けていたことが、たいへん役立ちました。

ランニングについて
 走ることが、生活の一部となり、走らない日が二日続くといらいらします。青森に来ても雪の中を走っていました(詳しくはこちら )。なぜかと問われると「走ることが好きだから」と言う答えしか見あたりません。
 20代30代のようには、走れなくなりましたが、もう一度サブスリーをねらえる体をつくりたいです。
 それから、近いうちに100Kに挑戦したいと思っています。
2001年10月28日記


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