第12回福知山マラソン | |||
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開催日 | 2002年11月23日 | 開催地 | 京都府福知山市 |
種目 | フル | 天気 | 晴れ |
タイム | 3:48:41 | 参加賞 | たけのこ、完走Tシャツ |
順位 | 294位(40〜44歳993人中) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) 福知山マラソンは、ランナーズの大会100選で常に1番の大会なので、前から一度は参加したいと思っていた大会。 前日は、大阪の実家に泊まった。当日は、5時に家を出て、大阪発福知山行き6:02に乗る。福知山着が8:20、そこから無料バスに乗って会場入り。受付を済ませて体育館に行くが、既に満員で、荷物を置く場所がない(参加人数10000人)。外は寒いので、2階観覧席通路でゼッケンを付け、外に出てトイレを探す。アップもストレッチもするまもなく整列する。この頃は、曇っていて寒かった。 スタート地点は1:30 スタートはゼッケン番号順で整列する。最前列から1000人くらいなのだが、号砲がなってスタート地点まで1分半かかった。スタートから1Kくらいは下りになる。ゴール前に、ここを上ることになるが、全コースで坂はこの1ヶ所のみ。下りが終わる交差点で駅前に向かって町中を走る。沿道の応援がとぎれない。仮装ランナーが数人いて、沿道の人を喜ばしていた。 5K地点は25:39 スタートロスを考えると24分を切っている。速すぎると思ったが、周りの流れに乗って走る。ここから市街地を通り、さっき下りが終わった交差点にもどって由良川に沿って走るコースになる。このあとは、24K付近で折り返す1本道になる。 10Kラップは22:55 速すぎると思ったが、楽だったのでそのまま行った。これが命取りとなった。ここでペースを落とすべきだった。しかし、元気なときに流れに逆らってペースを落とすことは難しい。いつも同じ失敗をしているのもこのせいだ。 15Kラップは23:07 まだ楽だったが、最後までいける自信は少なくなっていた。やばいかなと思って落とし始めるが遅かった。 20Kラップは24:01 折り返してきたトップランナーとすれ違う。もうすぐ折り返しかと思ってもなかなか折り返し点に着かない。これはもうダメだと思った。調子いいときは、30Kくらいまでは、5Kが長いとは感じない。 25Kラップは24:27 ここからは、足が動かなくなってきたので、給水所で立ち止まって給水する。後はゴールまで、2.5Kごとの給水所を目標に走る。まるで100Kマラソンの時と同じになった。途中の私設エイドで飲んだホットコーヒーはおいしかった。 30Kラップは28:11 35Kラップは31:50 40Kラップは33:28 ゴール1K手前から上り坂になる。足を動かすが前に進まない。次々とランナーに抜かれるので、まるで後ろに進んでいる感覚になる。最後の1Kは長かった。 ゴールラップは14:59 ゴールタイムは、ワーストではなかったが、それに近いタイムだった。5Kを23分で入って、こんなに走れないなんて情けなくなった。 帰りの電車で座れないといやなので、すぐ着替えて会場を後にした。実家のテレビで2人の死者がでたことを知った。参加した大会で事故が起きてちょっとショックだった。 次のマラソンは、ぜひとも3時間半を切る走りをしたい。 |
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2002年11月30日記 |
第14回あずみ野池田ハーフマラソン | |||
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開催日 | 2002年11月03日 | 開催地 | 長野県池田町 |
種目 | ハーフ | 天気 | くもり 8度 |
タイム | 1:34:36 | 参加賞 | スポーツバッグ |
順位 | 41位(一般194人中) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) ここ数年は10Kをメインに走っていたのでハーフマラソンは3年ぶり。 申し込んだ時は、調整して90分を切るつもりでいたのだが、100Kマラソンの後、回復が遅れ、しかも先週60Kマラニック練習会に参加したのでタイムは気にしないでレースに臨んだ。 レース当日は、大変寒く、強い風が吹いていて今にも雨が降りそうな天候だった。大会名はハーフマラソンになっているが、3K、5K、10Kもある。コースは、平坦で高瀬川の堤防を走る。 あまりに寒いので、長袖シャツとタイツにした。スタート地点でNMCの武捨さんと会う。前方には松崎さんがいた。スタート後、堤防に出るまでの4Kが向かい風で坂を登っている感じ。参加人数が少ないので、すぐばらけてしまって、風をまともに受ける。堤防に出ると今度は追い風で楽になる。 5K地点は22:27。この状態だと100分切れるかなと計算しながら走る。100mくらい前方に武者さんが見えたので、目標にして走る。 10K地点は45:56(22:56)。追い風だったのにタイムが悪くなったのは意外だった。この1K先に折り返し点があり、今度は向かい風になる。ここからペースを上げる。しかし、武捨さんもペースを上げているようで、だんだん離れていく。 15K地点は1:07:21(21:58)。走っている感じではキロ4分なのだが、実際は5K22分がせいぜいといったところか。 20K地点は1:29:29(22:07)。残り1Kもペース上がらず、そのままゴール。1:34:36。 95分を切って満足していたのだが、昔の記録を見るとハーフ14レース中のワースト記録だった。 ゴール後は、松崎さんと話はできたが、5Kに参加していた丸山一二三さんにはお会いできなかった。ゴール後も寒くて寒くて風邪を引きそうだったので早く会場を後にした。 |
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2002年11月04日記 |
えちごくびき野100Kマラソン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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開催日 | 2002年10月12日 | 開催地 | 新潟県上越市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 100K | 天気 | 晴れ 25度 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイム | 11:48:08 | 参加賞 | Tシャツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
順位 | 212位(一般男子817人中) | 参加回数 | 初参加 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(コメント) 初めての100Kレース。当初目標は完走であったのだが、8月に結構走り込めたので、11時間以内を目指すことにした。 前日は、現地にとまり、睡眠を確保しようとしたが、結局よく寝れずAM3:00起床。 会場は、多くの参加者でごった返していて、NMCメンバーにスタート前にやっと会うことができた。 スタートは5時30分、気温12℃、快晴。まだ周りはまっ暗だが、スタートすると徐々に明るくなってきた。 キロ6分で100K行くと10時間それに休憩1時間で11時間とみて、キロ6分でスタートから行くつもりだったのだが、周りが速くて5分半で走ってしまった。これが後半つぶれる原因となる。マラソンでは、これでも結構遅い入りなのだが。 30Kまでは、平坦なコースで田園風景が続くのだが、これがまた、ペースを速めたようだ。マラソンを走っている感覚でいると5Kがかなり長く感じられて、いつまでも同じところを走っている感覚になる。 また、30Kから峠越えがあるのだが、予定では上りを歩くつもりだったのだが、周りのランナーで歩く人はなく、2つの峠を走って登ってしまった。 そして48K地点のトランジットに着く。このころは、陽は高く昇っていて気温がかなり上がっていた。この時は、かなり疲労していて、このままでは完走できないと判断した。しかも、エイドで取っていたバナナや豚汁など飽きてしまってのどを通らなくなっていた。補給はエイドのもので大丈夫だろうと思って、トランジットでは、リタイヤ用の着替えしか入れていなかった。また、おにぎりも飽きたので最初のエイドにあったパンを探したが後半は全くなし。水分も水と麦茶とポカリのみ。しかもポカリはかなり薄めてあって、後半は飲みずらかった。梅干しも最初あったらしいが、もうなくなったと云っていた。 ここで戦意喪失し、完全に完走目標にかえる。このままでは走りきれないので、休みを入れて体力を温存しながら走ることにした。各エイドでは5分休み、途中歩くのは上りだけとした。この方法が良かったらしく、最後まで歩くことなくキロ6分くらいで走れた。各エイドまで2.5Kくらいなので疲れる切る前に休むのが良かったのだろう。 50Kからの峠越えでは、まだ走って登る人がいたが、60Kからの峠越えでは、みんな歩いて登っていた 50Kからののぼりで歩いているときに睡魔がおそってくる時があったので、エイドでは無理しても口の中に入れるようにし、また、帽子を水に濡らして後頭部を冷やすのを各エイドで行っているうちに元気になってきた。 87K地点のトランジットで少し横になっているとき、NMCの武捨さんが、先に行くのが見えたが、声をかける元気はなかった。その次のエイド休んでいるときNMCの三田さんに追いつかれた。 87K地点からは、車道の左わきを走るので非常に危ない。右側に歩道があったのでそちらを走路にしたほうがいいと思う。柿崎に着くと海岸線を走るので海が見えるかと思ったが、90Kエイドのところの数100Mの砂利道だけで、後は、交通量の多い車道でがっかり。さらに、95Kまでの小刻みのアップダウンがこたえる。 残り2K付近では、朝見た日の出と同じような、夕陽を見ることができた。お日様が出ている間走っていたことになる。何とか12時間以内でゴールできた。迎えに来ているたカミさんに写真を頼んでいたので、予定時刻より大幅遅れで心配かけたと思う。休みながら走ったおかげてダメージも少なく、すぐ風呂に行くことができた。指の爪はみんな元気だった。 100Kレースは、記録を狙うにはきつすぎるし、完走目標でも拘束時間が長すぎると言うのが正直な感想。100Kでゴールすれば、感動するかと思ったがなかった。感動するほど激走すれば、身体が壊れていたと思う。100Kレースは身体には良くないスポーツと思う。フルマラソンのほうがいい。
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2002年10月13日記 |
NAGANO飯綱高原健康マラソン | |||
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開催日 | 2002年10月06日 | 開催地 | 長野県長野市 |
種目 | 10K | 天気 | くもり 20度 |
タイム | 43:55 | 参加賞 | Tシャツ |
順位 | 7位(90人中) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) 長野市街地からすぐの飯綱高原が大会会場。今年は、大町マラソンと日程が重なって、長野マラソンクラブのメンバーの多くは、大町マラソンに参加している。それでも会場で、丸山さんと武捨さんと会うことができた。例年、9月開催だったようだが、今年は10月になった。そのためか参加者が少なかった。 天候は、曇りで暑くなく、走るにはいいコンディション。ただ、コースが、アップダウンの連続で厳しいコース。3K、6K、10Kの3種目があるが、参加者の多くは3Kの小学生。 今回は、来週100Kマラソンなので、最初から無理しないで(転ばないように)走った。丸山さんも来週100Kで今日は無理しないと言っていた。 スタート後すぐ下りになる。10K参加者は100人もいないので、すぐばらけて走りよくなったのだが、5分前にスタートした3Kの小学生集団に追いついて、抜くのが大変と言いうか、ぶつかりながらの危ない走りとなる。これは、コース設定を変えるか、スタート時間を遅らせるべきだと思う。 3Kの集団と別れてからは、前のランナーを見失わないように走る。平坦なところがないばかりでなく、コースが複雑で、道路に書かれた白線を見ながら走る必要があるから。 コース半ばには、舗装路を離れて、ジャリ道やトレイルを走る。ここでは、転ばないようゆっくり走る。舗装路に戻って上りが終わると、しばらく急な下りになる。上りの時、前に見えていたランナーが下りで見えなくなった。しかも下りが終わった所(残り2K)で、後ろのランナーに追いつかれた。このあとゴールまで併走する。残り2Kの間に上りがまだ2ヶ所ある。ゴール手前の坂で、併走するランナーを抜いてゴールと思ったのだが、まだ運動場1周あった。力つきてここで抜かれてしまった。43:55で7位だった。 ゴール後、くじを引いてもう一枚Tシャツをもらう。その時わかったのだが、抜かれたランナーは、7月に親睦駅伝でご一緒させてもらった長野日本無線の西沢さんだった。 閉会式はなく表彰式もなかった。しかしタイムはすぐ掲示されていた。丸山さんは3位、武捨さん6位(6K)。ちなみに10K1位のタイムは39:43。 途中のキロ表示は、残り2Kと残り1K。給水は2ヶ所だった。 |
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2002年10月06日記 |
2002むれロードレース | |||
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開催日 | 2002年6月16日 | 開催地 | 長野県牟礼村 |
種目 | 10K | 天気 | 晴れ 25度 |
タイム | 41:31 | 参加賞 | Tシャツ |
順位 | 14位(154人中:一般男子) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) 長野市のすぐ北の飯縄東高原、霊仙寺湖広場が大会会場。飯縄山がすぐ近くに見える。 大会前まで30℃の暑い日が続いたが、この日は平年並みの25℃。ココは標高900mくらいあるので涼しく感じる。 3K(小学生のみ)、5K、10Kの3種目で、10Kは5Kコースを2周する。 10時35分に5K、10K同時スタート。 1K過ぎたあたりから上りになる。このあとスタート地点(5K地点)に戻ってくるまでアップダウンのコースが続く。車道から遊歩道(舗装路)に入り狭くなるが、ランナーはばらけていて混雑はない。スタート地点に戻る前に急な下りあり。1周のタイムは20:07。ココで5Kランナーがいなくなるので、前方にはランナーが見えなくなり一人旅。2周目は、コースがわかっているので、無理せず登る。遊歩道で女性トップに抜かれる。付いて行きたかったが、付いて行けない。どんどん差が広がる。見えなくなるまで差が付いた。そのままゴールで41:31。女性トップとの差は47秒。残り3Kでこんなに差が付いた。ちょっとショック。 ゴールは、道路から100mほど広場に入った所だが、5Kと10Kのスタート地点が同じなのは少しおかしい気がする。10Kが100m短い? ゴール後は、タイム掲載、豚汁サービス、抽選会あり。参加料1500円でお得な大会。 |
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2002年6月17日記 |
第13回カチューシャマラソン | |||
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開催日 | 2002年5月26日 | 開催地 | 長野県中野市 |
種目 | 10K | 天気 | 晴れ 22度 |
タイム | 39:59 | 参加賞 | Tシャツ |
順位 | 5位(62人中:40才以上) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) 作曲家中山晋平にちなんで付けられた大会。中野市は、長野市から約20Kの近場で、長野マラソンの途中のコースにもなっている。 3週間前に足首をひねって、2週間前の野沢温泉菜の花マラソンをキャンセルした。まだ完治していなくて走ると多少痛みがあるが、参加することにした。 コースは、最初にきつい上りがあるが、あとはゆるいアップダウンがあるコース。 参加人数は10Kの部で約100人。5Kの部と同時スタートだが混雑なしで走りやすい。最初の急な上りで一瞬焦ったが、すぐ下りになりほっとする。3Kも行くと一人旅になる。コースが複雑なので前のランナーを見失うと道路の白線を見ながら走ることになる。のどかな風景で車もたまに通るので、レース中なのを瞬間忘れる。それでも最後は、商店街の目抜き通りを太鼓の応援を受けながら走れるので気分がいい。 ゴールタイムは、40分を何とか(1秒)切った。しかも5位入賞だった。トップが33分台なので申し訳ない気分。青森のある大会では、参加50人(40代の部)でも入賞は37分台だったので信じられない出来事だ。 故障を抱えてのレースで痛みもたいしたことなくゴールできて良かった。 5Kラップは19:26。 今回初めて長野マラソンクラブ所属で走った。クラブは8人走って6人入賞。恐るべきクラブ。 次回は、6月牟礼ロードレース。昨年ベストの39:13を切りたい。 |
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2002年5月27日記 |
第4回長野マラソン | |||
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開催日 | 2002年04月14日 | 開催地 | 長野県長野市 |
種目 | フル | 天気 | 晴れ 22℃ |
タイム | 3:27:57 | 参加賞 | Tシャツ |
順位 | 555位(3296人) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) 長野に引越して来て約2週間でのマラソンとなった。35回目のフルマラソン。 (大会前日) この大会は、関東圏から日帰りできる範囲なのに当日受付はできない。そのため多くの人が宿泊する。パンフレットを見ると参加5276人中、長野県からは2418人で半分以上は県外から。このマラソンは良い観光収入になっているのだろう。 参加申し込みは、予定より1000人多く参加できなかった人も多かったようだ。 受付会場のビックハットで受付を済ませて、鈴木博美と金哲彦のマラソントークに参加した。マラソンクリニックもあったがそちらは参加しなかった。 (スタート前) 5時半起床。おにぎり4個食べる。6時半に駅まで送ってもらう。朝は冷え込んで最低気温3℃。東口は、バス待ちの人の長い列。列が減るまでトイレで用を足す。トイレはがらがらでラッキーだった。7時過ぎても列はあったが、最後のバスだった。バスの中で残りのおにぎり2個食べる。 会場に8時前に着く。人があふれていて、トイレには長い列を作っていた。 長野マラソンクラブに入会希望を伝えていたので、旗を探したがなかなか見つからず、やっと見つけ挨拶している時には、荷物を8時15分までに預けてくださいとアナウンス。片道コースの大会参加はあまり記憶にない。焦って着替えて袋に詰めて、預けに行く。 気温が上がってきたので脱いでも寒くなかったが、雨が降った時はたいへんだ。30分前には、ゼッケンの位置に着くようアナウンス。いつもは15分前に着替えて10分前に位置に着くので戸惑ってしまう。これが日本陸連公認レース。 位置はゼッケン番号順。陸連登録は3桁で前列。ゼッケン番号は2299。 (コース) 片道コース。スタートから10Kくらいまで下り、その後は平坦なコース。33Kくらいに短い折り返しコースがある。今回は、金メダリストのチュグワネ選手、ロバ選手が参加する。残念ながら片道コースなので走りが見れない。 (レース) スタート9時だと思っていたら9時5分だった。気が抜けて、ストップウォッチを押し忘れる。(20秒発って押す) 目標を3時間30分以内とし、5K25分で行くことにする。スタート後は、下りが続くが、飛ばすと後半持たないと聞いていたので、流れに乗って走る。また、冬からかかと着地を意識してやめていたので、今回どこまで行けるか実験してみる。 (5K23:42 ピッチ195) 下りなので感覚より1分早い。スタートから沿道の応援が途切れない。5Kからは少し下りが緩やかになる。表示は1Kごとにあるが無視する。おにぎりを食べ過ぎたため、お腹が重く少し戻しそうになる。給水でスポーツドリンクを取ったが、気持ち悪く吐き出す。以後すべて水にする。 (10K23:32 ピッチ197) 今までのレースだとピッチは188くらい。今回は意識してピッチ走法。給水の時は、いつものかかと着地に戻っている自分を発見。 町中をはずれて、高速沿いを走る。桃の花が満開。ここでも沿道の声援が途切れない。 (15K24:48 ピッチ194) ペースは同じ感覚。タイムが落ちたが、今のままで行く。橋の途中が15K地点で橋を渡ると堤防沿いの道になる。ここでも沿道の人垣が凄い。 (20K24:46 ピッチ194) 堤防では、風がなく走りよかった。屋島橋からエムウェーブに向かう道路に入る。ここから五輪大橋の手前まで試走したので、気分的に楽になる。 (25K24:35 ピッチ192) エムウェーブ手前で25K地点。エムウェーブを一周するが、ここでも沿道の凄い応援。これでは、歩きたくても歩けない。 (30K24:52 ピッチ191) 30K過ぎてからピッチが落ちてきた。ここからはピッチを意識して走る。途中折り返しがあるが、対向ランナーを見るのは疲れるのでやめる。 (35K25:14 ピッチ189) ついに5K25分オーバーとなり少し焦る。流れに乗って走るとサブ30は無理なので、意識して前のランナーを抜かなければならない。二人組のランナーに抜かれたので着いていくが、2Kほどしか付いていけない。しかもペースが速かったらしく、かなりつらくなった。あとは、後続に抜かれないようにする。ピッチも落ちる一方。 (40K24:37 ピッチ184) 38K以降キロ5分オーバーだったが、40K地点で何とかサブ30できそうなのでほっとする。このころはかなり暑くなっていてふらふら状態だった。ただお腹が空くことはなかった。 (42K11:37 ピッチ182) (ゴール後) 完走メダルとおにぎりとドリンクを受け取る。男子チュグワネ、女子ビクタギロワが優勝した新聞の号外を受け取りびっくり。女子トップがゴールして新聞ができるまで走っていたの。 記録は、張り出されていて、当日ネット検索もできた。 3年ぶりのサブ30ができた。しかし 前半抑えたので35Kからもう少し走れると思ったがダメだった。着地方法も30Kまで意識できたが30K以降は、べた足になってピッチが落ちた。 (大会について) 参加費5000円は高いが、楽しく走れる。とにかく沿道の人垣が途切れない。太鼓が至るところで鳴っている。しかも一流トップランナーと走れて、しかも運が良ければ、谷川真里と併走できてテレビに映ることが可能。毎年、参加申し込みが増加しているのもわかる。 来年は、しっかり試走してサブ20をねらう。 |
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2002年04月16日記 |
第20回東北ブロック新春マラソン | |||
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開催日 | 2002年01月13日 | 開催地 | 宮城県名取市 |
種目 | フル | 天気 | くもり 6度 |
タイム | 3:45:51 | 参加賞 | タオルのみ |
順位 | 31位(59人) | 参加回数 | 初参加 |
(コメント) (スタート前) 前日に青森から高速バスで仙台入り。さすがに仙台だと雪がない。しかもこの日は特別に暖かく、11℃まで上がった。雪がない所を歩いていると違和感がある。まるで足に付けられた鎖がなくなったような開放感だ。 当日の朝、スーパーで買ったおにぎり等で朝食を済ませ、ホテルを出る。チェックアウトするとき、朝食無料キャンペーン中と聞いてびっくり。格安4500円で朝食付きとは。食べた後なのであきらめて駅に向かう。 仙台駅からJR名取駅に行きそこからバス。サイクルスポーツセンターが会場。いつもの大会と雰囲気が違う。新日本スポーツ連盟主催なので、周辺が物静かで出店等はない。受付でビニール袋にゼッケン番号を書くように言われたが何のことかわからず。更衣室に向かった。 (コース) 1周4Kのサイクル道路を周回する平坦なコース。5K、10K、ハーフ、フルの種目があるが、それぞれ4Kで割り切れないので余った距離を受付(ゴール地点)から移動して、そこをスタート地点とする。フルだと2.195K離れた所がスタート地点となる。選手はスタート地点でウェアーを脱いでビニール袋に入れて係員に渡すとゴール地点まで持ってきてくれる。これが受付でビニール袋をもらった理由だった。 (レース) 10時に全種目一斉スタート。フルは約200人。ゼッケンの下側には、1から9までの数字が付いた部分があり周回ごとに自分で取って箱に入れる。背中にゼッケンがないので2周もすれば、全種目に選手が入り乱れて同じ種目の人かどうかわからない。またペースメーカーを見つけることができない。いつもは5Kラップなのだが、それがなく1周目はラップを取り忘れた。 (2周8K37:43) ラップが4Kなので計算しながら走っていたが、1周19分で5K24分ペースなので、このまま行こうと決める。 (3周12K19:18) 3周目でハーフかフルのトップに抜かれる。5K、10K参加者もほぼゴールして走っている人数が少なくなる。 (4周16K19:33) イーブンペースの積もりだが、ペースが落ちてきた。体がいつもと違う感じがする。 (5周20K20:13) 20K通過1時間36分。感覚では5K24分ペースなのだが、20Kではやくもキロ5分に落ちた。 (6周24K21:18) ハーフの参加者もほぼゴールしてフル参加者のみとなった。ここからは、抜かれる一方だ。トップが2時間半でゴールとすると1時間以上差があるから3周以上抜かれることになる。 (7周28K21:58) お腹が減ってきたので、給水場で立ち止まってバナナ等を食べた。5周目くらいまで給水場では、水しかなかったので、あきらめていたがラッキーだった。もう完走目標に切り替えたので、これから給水場を楽しみにして走る。 (8周32K25:19) 給水場で走快ねっとRCの真利野さん、ばいsanさんの声援を受ける。ハーフ参加と聞いていたので会えないかと思っていたが、会えて良かった。また立ち止まってバナナ等を食べた。 (9周36K23:12) ここでゴールしたい気分。また立ち止まってバナナ等を食べた。お腹いっぱいになる。 (10周40K24:26) 最後の1周で手の感覚がおかしくなった。まるで手にボクシンググローブ付けているような感じだった。最後は疲れ切ってゴール。3:45:51。 (42K12:43) またもサブ30どころか前回のSUGOマラソンとあまり変わらないタイム。もしアップダウンがあったら4時間越えていたかも。 (ゴール後) 記録は、後日郵送。会場に風呂あり。 (反省) 思ったより走れなかった。12月から雪道になってゆっくりジョグしかできなかったから仕方ないと考えよう。完走できただけで良しとする。 (大会について) 風呂があったのは良かったが、周回コースで、誘導員一人、給水場数人しか見かけなかった。また参加賞は手ぬぐいとカップラーメンのみ。駅からのマラソンバスなし。ランナーズチップなし。これで参加費3500円は高すぎる。せめて背中用ゼッケンを付けてほしい。 来年から5K、10Kは、別の日(5月)に行う予定。 |
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2002年01月25日記 |