田町と伊達市の境にある有珠地区には、約2kuの範囲内に28ヶ所もの貝塚が密集している。これらの貝塚の中で、虻田町内の代表的貝塚が入江貝塚と高砂貝塚である。

 入江貝塚は噴火湾北東部の標高約10〜30mの海岸段丘上に位置し、縄文前期から後期にかけて形成され、僅か500mほど北西の高砂貝塚は標高約10mの火山灰台地上に位置する、縄文後期から晩期にかけての貝塚遺跡。

 入江貝塚は昭和30年代の道路建設に伴う発掘調査に始まり、平成10年までに断続的に発掘が進められ、昭和63年には国史跡に指定されている。

 ここでは町内の代表的縄文遺跡を紹介する。

入江貝塚 元された住居の屋根は土で覆われ冬季の寒冷対策が施されているが、当時の様子は不明。

貝塚は厚さ最大約3mの規模を含め、3ヶ所で確認されている。
貝塚の中からは、墓域の役割を果たしたと見られ、19体の人骨出土している。

 砂貝塚は昭和38・40年の2次にわたる発掘調査を皮切りに引続き調査が進められ、現在史跡の国指定を申請中と云う。

 入江・高砂貝塚は、同一台地のそれぞれ南端と北端に位置しており、距離・地形を考慮すると、両者を一帯としてとらえることが可能であり、広い範囲で移動しながら生活をしていたと考えられる。

 しかし晩期に入ると高砂台地が中心となる。

高砂貝塚 骨が25体も発見され、隣接する入江貝塚・伊達市の北黄金貝塚と共に、縄文人研究の貴重な資料となっている。
貝塚は2ヶ所・墓壙28ヶ所・配石遺構1ヶ所などの遺構が検出されている。
いずれも保存状態は良好で、縄文文化の墓制の変遷・縄文人骨などの研究に大いに役立つと見られている。

以下入江貝塚公園の貝塚館に展示されている遺物の一端を紹介する。

入江式土器

 文後期初頭の標識土器として認知されているが、沈線で幾何学的文様が描かれた個性豊かな土器様式と云える。

 次に鹿角製銛類や動物の骨製・エゾシカ製アクセサリーなどについて紹介する。

 シカなどの骨角製銛類や、エゾシカ・ヒグマ・テン・トド・ワシ・サメなどの鳥獣の骨角製アクセサリーは当時の食文化のみならず、用具や身嗜み文化を伝えている。

 又北海道には棲息しない、イノシシの牙で作られた装飾品・温暖水系のオオツタノハガイ製腕輪・イモガイ製平玉などが出土していることから、広範囲にわたる地域交流が活発に行われていたことが窺い知れる。

 ノシシの牙製や貝製の装飾品は関東に多いことから、関東地方からモノ・風習ごと当地に持ち込まれたか、更には同時に人の移入も伴ったかも知れない。

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