伊勢堂岱遺跡は標高約45m、湯車川に囲まれた舌状台地に位置し、大館能代空港のアクセス道路予定地で発見され、今日迄約7,000uが発掘調査された。 その結果縄文時代後期前半(約4,000年前)の環状列石をはじめ、多くの土壙・建物跡が見つかり、又祭祀にかかわる遺物も数多く出土、「祭り」や「祈り」を行う大規模な葬祭の場であったと考えられている。
縄文時代の墓制や精神世界・社会構造などを解明する手がかりとなる遺跡と判断され、アクセスルートの変更と遺跡の現地保存が決定されたと云う。 |
伊勢堂岱遺跡全景
当遺跡の範囲は写真のような台地全体に及んでいると見られ、15,000u以上のひろがりを持つと推定されている。 この遺跡全体の範囲を確認するための発掘調査が現在も行われており、今後さらに10年ほどに及ぶ調査が継続予定と云う。 以下当遺跡の概要を紹介する。
環状列石とは自然の石を円形に並べた祭祀用施設を云い、縄文時代中期後半から後期前半(4,500〜4,000ほど年前)頃北海道・東北地方北部で造られたことが判明。
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環状列石A現場
当遺跡の環状列石Aは地面を削って平らにし、約1,500個の河原石を並べたもので、広さは直径25〜30mで蔓のついたメロンのような形をしている。
組石の石材は7kmほど離れた米代川下流より運び込まれたと見られている。
環状列石Cは外周径42〜45m、中央にも径7〜8mの環状列石が見える。
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環状列石C現場
列石の下からは100基以上の土壙が見つかっていると云う。 土壙内に遺骸は発見されなかたったが、朱塗りのモノを含む鉢や壷、鐸形・キノコ形の土製品が副えられた墓と考えられている。 環状列石Bも見つかったが、道路工事中に破壊されたと云う。
建物跡と見られる多くの柱穴がいくつも重なり合って見つかり、柱穴は直径1mほど・深さ1.2m前後のモノがほとんどであったと云う。 6本柱で亀甲形の建物と見られ、既に35棟が見つかっている。 |
掘立柱建物跡現場
![]() 土壙の覆土は遺骸が納められた後直ちに埋め戻された状況にないと云う。 何度も掘り下げ、底を作り直し、繰り返し使われた様子が窺えたと云う。 これらの建物は一次葬用の埋葬施設で、遺骸を土壙に納める前に葬儀の後一時保管されたのではないかと考えられていると云う。 この地域の葬制を解明する糸口になることが期待されたいる。
環状列石で行われた祭祀に使った道具を捨てた場所と見られている。 |
捨て場と見られる沢跡
沢からは多くの土器・土製品が出土しており、特に土器は完全な形に復元できるモノが多いため、祭祀に使った道具は再使用せずそのまま「沢」に捨てたと見られる。 土器にはヒョウタン形・朱塗りのモノ、土製品には鐸形・キノコ形等様々な形をしたモノが出土している。 発掘調査はまだ緒についたばかり、真相解明に向けて新たな発見が続々と報道されることを大いに期待したい。 |