地蔵田遺跡は御所野台地の南西部、雄物川と岩見川の合流点を望む標高31m前後の東西に長い舌状台地上に立地する、旧石器・縄文・弥生時代に跨る複合遺跡。

 昭和60年秋田新都市開発整備事業に先立って発掘調査が実施され、数多くの遺構・遺物が発見された中で、特に注目を集めたのが、全国で初めての木柵で囲まれた弥生前期の集落跡で、平成8年に“国の史跡”に指定された。

 発見された遺構は竪穴住居跡のほか、木柵跡3条・土器棺墓・土壙墓などが注目される。

住居跡現場 木柵復元現場

 真のように住居と木柵が復元されつつあり、いずれ土器棺墓・土壙墓等も原寸大で復元される計画。
ほぼ円形の竪穴住居の入口は集落中央を向いており、中央部に広場があったと見られる。

 3条も確認された木柵跡からは、径20〜30cm・深さ30〜60cmの柱穴が連続して確認され、長軸約61m・短軸約47m・全長約170mの楕円形を呈している。
3条のうち南東側で最も外側に作られている木柵は、墓域を集落と遮るための目隠し塀と考えられている。

 本集落跡を史跡公園として復元するに当っては、市民・小中高等学校生が中心となり、市民参加型の手作り整備が現在も進行している。
郷土史学習の生きた教材として、整備の在り方が全国的にも注目されていると云う。

台付朱塗土器 壷形土器

 付朱塗り縄文系土器及び写真右側が北九州地方の遠賀川系壷形土器。
当地ではこの時期、縄文時代の伝統を引継ぐ縄文が施された土器が確認されている。

 叉集落南東側に道を挟んで並ぶ墓域から見つかった土器棺には、北九州地方に分布する遠賀川系の壷形土器が使用されており、当時の東西文化交流が窺い知れる。
東北地方北部における稲作農耕文化の成立過程を知る上でも重要な遺跡として位置付けられている。

土偶片 土偶 環状石斧

 器棺墓・土壙墓を擁する墓域からは、玉類などの副葬品のほか、土偶片・環状石斧も出土し、祭祀広場ではしめやかな儀式が執り行われていたと考えられる。

 土器棺墓や円形・楕円形・小判形などの土壙墓の復元は、平成16〜18年にかけて計画されており、引続き市民参加を呼びかけている。
埋蔵文化財を生かした“街づくり”、総合学習の一環として活力溢れる人間育成に一役担っていくことが期待される。

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