戸森遺跡は北上する米代川の右岸段丘から北西方向に突き出した長さ760m、幅500m、そして標高170mほどの舌状台地の北端に位置している。

 昭和56年の中学校建設に伴う範囲確認調査により大規模な縄文中期の集落跡であることが判明。

 これまでの発掘調査により竪穴住居跡140軒・屋外炉7基・配石遺構21基・埋設土器遺構3基・土壙103基などが検出されたと云う。

天戸森遺跡現場

 鹿角市中学校校庭内に竪穴住居を復元し記念碑として保存している。

 調査対象面積は9,100u余りで実施されたが、集落全体の3%弱にしかすぎず、天戸森ムラの全容解明にはほど遠い状況。

 竪穴住居跡140軒の変遷を遡ると、縄文中期から中期後葉にかけて住居跡の規模は大型が小さくなり、中・小型の規模が大きくなっていくと云う。
周溝を有する住居割合も当初の40%弱から減少し又炉跡は石囲複式炉が主体を占める。

 又縄文中期末にかけてこの傾向は更に強くなり、住居跡の規模差はなくなり、周溝を有する住居は更に減少、石囲複式炉が相変わらず主体を占めると云う。

 天戸森集落の集中化と集落規模の縮小と共に、住居規模の均一化が集落の変遷過程を物語る貴重な資料と云われている。

 出土土器は縄文中期中葉から末葉にかけてのモノが大部分で、318個体以上がほぼ完形復元出来たと云う。

 以下代表的復元土器の変遷を概観してみる。

 多量の土器復元により、土器の形・文様の移り変わりを伝える貴重な資料を提供していると云われる。

 ♂口縁部に4個の山形突起を有する波状口縁の中期中葉の深鉢土器。口唇部に燃紐斜位圧痕文を有し、口縁部から胴部にかけて沈線による弧状文が施文されている円筒土器。

 ♂縄文中期後葉の広口壷形土器。胴部が張り、口縁部が外反する深鉢土器で、口縁部には広い無文帯を有し、文様は胴部に限定されている。

 ♂口縁部から胴部にかけて弧状文と懸垂文が配置された中期後葉の円筒土器。左右に見える残痕は把手部分が欠かれたように見える。

 ♂懸垂文を主体文様とする中期末葉の深鉢土器で、地文上に数条の沈線により施文されている。

 ♂口縁部を隆帯文により区画する中期末葉の深鉢土器で、胴部は無文。

 ♂入組状曲線文・幾何学文が施文された後期前葉の壷形土器。左右非対称の漆塗りの変形壷で、実用より祭祀用に使われたと考えられる。

 ♂入組状曲線文・幾何学文が施文された後期前葉の朱塗り壷形土器で、この壷も祭祀用に使われたと見られる。

 以上7種類の土器をこの順番で紹介する。

 器以外にも多量の石器・土製品・石製品等の遺物が出土しているが、以下珍しい貴重なモノをハイライトする。

以下文字列にポインタをおくと、珍しい土器・石器に巡り会える!

 天戸森遺跡から出土した呼鈴形土製品。祭祀用として何かを呼ぶ用具として使われたのであろうか?飾り物として使われたとも考えられる。

 当遺跡から出土した有孔台形土製品。祭祀目的に何を置く台のように見えるが、孔にはどういう意味・機能が与えられたのであろうか?

 当遺跡から出土した有孔石製品。中央の孔は何物であろうか?型を取るための加工用具であろうか?それともこの孔にモノを固定して潰したのであろうか?

 当遺跡から出土した<有孔石製品。ペンダントとして使われたように見られる。

 の他にも天戸森遺跡から出土した縄文時代中期の土偶に注目しよう。

 絶叫を張り上げているような悲愴な表情は、東北地方独特の表現・形態のように見える。

縄文中期土偶

 田県内で最大の遺跡である天戸森遺跡の全容解明に向け、新たな発掘調査の機会に恵まれることを切望する。

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