場遺跡は南アルプス末端を形成する入笠山・守屋山などの山塊に周囲を囲まれた手狭な諏訪盆地に立地する。

 当遺跡は霧ヶ峰西縁部に源を発し、諏訪湖に流れ込む角間川の下流域の扇状地、角間川左岸の標高840mほどの緩斜面に位置する。

 当遺跡は縄文早期から近世に至る複合遺跡であるが、特に縄文中期から後期にかけて大規模な集落が営まれていたことが、過去7回の発掘調査により判明している。

穴場遺跡現場

 峻な山塊を背後に、正面の対岸は丘陵下の急崖を持ち、写真のように諏訪市内・遠くには諏訪湖を望む。

 土層は5層からなるが、土砂崩れによって形成されたと見られ、第4・5層のローム層には大量の礫が含有されていたと云う。

 真は蛇体把手・獣面把手・深鉢土器・有孔鍔付土器を順番に紹介している。

 霧ヶ峰南麓の勝坂式土器の特徴は、三角形・楕円形の隆帯文区画、人や動物のような抽象文を持ち、長野県南部から関東にかけて分布している。

諏訪地方の神の正体は”竜”と云われている。この土器に付けられた蛇のような把手は竜蛇伝説のルーツかも知れない。
動物のような形をした抽象文は左右非対称で愛らしさを増している。 動物はムササビように見える。
勝坂式土器2点のうち1点は中央部に鼻の突起を連想させる程に形よく盛り上げられている。
いずれもおおらかな装飾を施しながら全体的には丹精に仕上げられていると共に、優れた感性が窺える。

磨製石斧

 山岩製の磨製石斧は精巧に研磨去れ、整形されている。

 その他蛇紋岩製の磨製石斧をはじめ、いろいろな色彩の石材を使っての磨製石斧工房は圧巻と云える。

石棒

 山岩製の石棒は太めではあるが、対長さ比でバランスよく入念な加工で仕上げられており、石造り職人の職人魂が感じ取れる。

 この他にも石皿・凹石・石鏃・石錘・打製石斧などが大量に出土しており、諏訪地方の特産物である安山岩をはじめ潤沢な石材を背景に、石製品が生活に一部として根付いていたと見られる。

 敷石住居跡・土壙・小竪穴などには大量の石器類が使われ・捨てられており、二次使用にも充分まかなわれたと思われる。