新 潟 県 加 治 川 村 の 青 田 遺 跡
壁材は縦約1.5m・横約1.4mの格子状に組んである木枠の上に、アシと見られる草が葺かれている。 縄文時代の ![]()
叉土壙の底面に長軸方向に草材が敷き並べられ、その上に直径1cmほどの枝材が草材と直行して約20cm間隔で6列置かれ、更に枝材を挟むように上から枝を打ち込み固定していた。 |
当時の川底から出土した丸木舟は、残っている長さ約5.4m・最大幅約80cm・深さ約16cmあり、片側の舳が欠けているものの大型な舟と見られている。 日本海側及び国内共に最北の出土例と云われている。
長さ220cmほどもある櫂の出土例から、
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炭化物集中範囲からは完成の丸木弓や横槌、使途不明な棒状木製品と樹皮製品などの木製品のほか、漆製品では黒漆塗り飾り弓、径1mmほどの糸を数十本束ねて直径約2cmの紐状に結んだ赤漆塗りの糸玉、更には赤色顔料塊などが検出された。 他にも編籠やアシ製簾などの編物技術を含め、木工技術・漆工芸技術など生活文化レベルの異様な高さが窺い知れる。 これまでの発掘調査・研究では、炭化物集中範囲が作業工房エリアなのか、埋甕が検出されたことから墓域を兼ねていたのかなどはハッキリしない。 叉川岸に集落が営まれていたにも拘わらず、動物遺存体や漁労具などが出土しておらず、謎に包まれたままで、今後の更なる調査・解明が待たれる。 |