青田遺跡は新潟平野の北部沖積地に立地し、江戸時代に干拓された塩津潟のほぼ中央部に位置する。

 現地表面の標高は3.0〜3.5mであるが、塩津潟の内部に堆積した土層の直下には平安時代に起こった大規模洪水砂層が見られ、叉この砂層直下に縄文晩期終末の遺物包含層が堆積していた。

 本遺跡は、平成11年度から日本海沿岸東北自動車道建設に伴ない発掘調査が行なわれた結果、当時の川沿いに南北200m以上にわたり営まれた大規模な集落跡が検出された。
これまでの発掘調査で、柱根が残る掘立柱建物42棟・ピット約900基・土壙51基・炭化物集中範囲276ヶ所などの遺構のほか、大量の土器・石器・木製品などが出土した。

これら大量の出土遺物の中から、特筆すべき木製品・植物製品などを以下紹介する。
本遺跡は地下水に漬かった上に、土砂が堆積して酸化が防がれたため、各種木製品や木の実などが残存していた。

草葺き壁 土壙内草材

 材は縦約1.5m・横約1.4mの格子状に組んである木枠の上に、アシと見られる草が葺かれている。
縄文時代の木枠と草葺きの草壁が出土したのは全国で初めてと云う。

 叉土壙の底面に長軸方向に草材が敷き並べられ、その上に直径1cmほどの枝材が草材と直行して約20cm間隔で6列置かれ、更に枝材を挟むように上から枝を打ち込み固定していた。
土壙内にはクルミの花粉が大量に検出されたことから、木の実を水漬けして保存したか、或いは何らかの加工作業を行なっていたものと考えられている。

丸木舟 櫂類

 時の川底から出土した丸木舟は、残っている長さ約5.4m・最大幅約80cm・深さ約16cmあり、片側の舳が欠けているものの大型な舟と見られている。
日本海側及び国内共に最北の出土例と云われている。

 長さ220cmほどもある櫂の出土例から、物資の運搬に使われていたかも知れない。

以下丸木弓、横槌、棒状木製品や樹皮製品、黒漆塗り飾り弓、朱塗り糸玉そして赤色顔料塊の順番で紹介する

 化物集中範囲からは完成の丸木弓や横槌、使途不明な棒状木製品と樹皮製品などの木製品のほか、漆製品では黒漆塗り飾り弓、径1mmほどの糸を数十本束ねて直径約2cmの紐状に結んだ赤漆塗りの糸玉、更には赤色顔料塊などが検出された。

 他にも編籠やアシ製簾などの編物技術を含め、木工技術・漆工芸技術など生活文化レベルの異様な高さが窺い知れる。

 これまでの発掘調査・研究では、炭化物集中範囲が作業工房エリアなのか、埋甕が検出されたことから墓域を兼ねていたのかなどはハッキリしない。

 叉川岸に集落が営まれていたにも拘わらず、動物遺存体や漁労具などが出土しておらず、謎に包まれたままで、今後の更なる調査・解明が待たれる。

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