智頭枕田遺跡は県東部の中国山地山間部を流れる千代川の支流である新見川・土師川に挟まれた、舌状台地の先端に位置する。

 智頭町保健・医療・福祉総合センター建設に伴い、平成14〜15年にかけ、2回に分けて約6,000uにわたる発掘調査の結果、縄文・弥生・奈良・平安時代の生活痕跡を刻む複合遺跡であることが判明。

 縄文時代では、早期から前期末、中期末から後期初頭、晩期の遺構・遺物が多量に検出された。
縄文早期では押型文土器片・罠猟用陥穴遺構・住居跡など、縄文中期末から後期初頭では12棟の住居址・貯蔵穴・掘立柱建物跡・配石遺構などの遺構及び摩消土器片・石器などが出土している。

 中国地方で縄文集落跡が発見されること自体が珍しいことであり、且つ九州を除く西日本では最大規模と云われる。
又住居址の形は、長方形で2本の柱穴と石囲炉を伴っている。この住居形態は兵庫県東部で多く見つかっており、当時の交易・交流が窺い知れる。

 縄文後期では掘立柱建物跡・住居址・骨片を伴った墓壙・遺物廃棄場などの遺構のほか、石棒や当時の地域交流を窺わせる他地域の土器などが出土しているが、豊富な出土資料については更なる調査・研究が必要であると云う。

 ここでは縄文晩期の遺物を紹介する。

遺跡現場T 遺跡遠景

 JR智頭駅の西南直ぐの台地上にあり、現在は遺跡現場である元病院跡地に町立総合医療・福祉センターが建築されつつある。

 縄文早期以降どの時代でも、遠隔地との交通・交流を示す発見があり、交通の要衝としての役割を演じていたと考えられる。

浮線網状文 朱塗工字文 突帯文

 線網状文・工字文付土器片、朱塗り工字文や突帯文土器片など。
信州・北陸地方の浮線網状文土器や東北の変形工字文土器が出土しており、当時から広域交流を窺わせる。

 土器の多くは中国地方に普遍的な突帯文土器で特徴付けられる。突帯文土器は、同じく出土した弥生前期初頭の北九州系遠賀川土器と合わせ、稲作文化を受け入れていく過程の一端を感じさせる。

(石棒)
祀目的とされる、縄文時代伝統の石棒は6点出土し、男根状に成形された有頭のモノ、無頭のモノ、頭部に彫刻を施したモノ、石刃状のモノ等々様々な形態の石棒が見つかっている。

精緻な細工を施した石器には、専門加工職人の存在を窺わせる。

 本遺跡の全体的特徴としては、出土した様々な遺構・遺物から、中国地方における東西文化交流を示すものとして、その意義は大きいと云える。 

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