木囲貝塚は縄文時代前期から中期(約6,000年前)にわたるもので、南北285mそして東西270mで規模は巨大、貝層は地表下4mほどに達するところもあると云われる。

 仙台湾は東京湾と並び貝塚の密集地として知られ、その中でも松島湾岸には当貝塚はじめ、大小さまざまな貝塚が点在している。

 宮城県は関東地方に次いで貝塚が多く、約260ヶ所の貝塚数は全国の13%ほどをを占める。

貝塚現場

 1968年に約190,000uが国の史跡指定を受け、現在公園として整備されている。

 貝塚としては全国最大規模の指定面積と云われる。

 貝塚の内側の平坦地からは数軒の竪穴住居址が見つかっているが、この広い台地上に6〜8軒規模のムラの存在が認められる。
住居の直径は6〜8mほどで1軒5〜8人程度が住んでいたと考えられている。
大木囲ムラの人口が想像出来る。

 住居は台地上の平らな部分に建てられ、斜面下方に食糧のクズや生活関連の壊れたものが投げ捨てられた結果、4mにも達する貝層が形成されたと見られる。

 以下貝層から出土した遺物について概観してみる。

貝層断面写真

 塚は生活痕跡がそのままの状態で残っている貴重な資料で、当時の生活様式・文化をあからさまにしていると云える。

 縄文時代前期から中期までの遺物が時期ごとに順序良く積み重なって残っているため、”時代の変化”を知ることが出来る。

各種魚骨

 土遺物を分析すると、動物質資料は魚類が最も多く、中でも特に多いのは小魚の骨と大きなマダイの骨で、網漁と同時に鹿角製釣針が出土していることから、沿岸釣操業及び外洋操業が併存していたと考えられる。

各種貝類

 の種類はマガキ・ハマグリ・アサリ・ハイガイ等47種に及び、中にはハイガイのようにはるか南方に生息するモノも見つかり、当時の海は現在より暖かったことが窺える。

 海面は現在より4mほど高かったと見られる。

 貝塚から出土した四肢動物の骨類にはシカ・イノシシが多く、タヌキ・アナグマ・カワウソ・オオカミ・クジラ・イルカ・アシカ・ウミガメ等の骨も見つかっている。

 以下代表的な獣骨をハイライトする。

文字列にポインタをおくと、四肢動物の骨の姿に出会えますよ!

 大木囲貝塚から出土したイノシシの骨。動物性脂肪・蛋白質などの供給源として最も珍重された動物。

 当遺跡から出土したイヌの骨。家畜としてはイヌが唯一であり、狩猟に使われたものと見られる。

 当遺跡から出土したクジラの骨。外洋性漁労の醍醐味はクジラ漁にあったのではないか?

 当遺跡から出土したシカの骨製品。この地方で大量に見つかっている鹿角製釣針・銛・ヤスは漁労で大活躍。

 の他にも大木囲貝塚からはいろいろな装身具が見つかっている。

 代表的な装身具として、耳飾り・髪飾り・胸飾り・腕飾りなどが出土している。

腕飾り髪飾り

 れらの飾りは単なるアクセサリー・”おしゃれ”のためというより、むしろ悪霊払い・厄除けなど呪術的なお守りとして装着していたと考えられる。

大木式土器

 れらの土器は大木式土器と呼ばれ、土器の形や文様などの特徴を出土する層位毎に分類し、現在10型式(土器編年)に系統立てられている。

 東北地方の縄文前期から中期にかけての標識土器として認知され、他の遺跡の年代を予測する重要な指標となっている。

 貝塚に廃棄された遺物を貝層に沿って辿ってみると、食生活・道具・環境等の移り変わりが分かると共に、魚貝獣骨類の分析により当時の地形まで分かるという、将に”生きた史料”と云える。

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