船ヶ谷遺跡は松山平野北西部を北流する久万川右岸の沖積低地に立地する、縄文晩期と古墳時代の遺跡。

 縄文時代では多量の土器が出土したことから、大渕遺跡と共に縄文晩期土器編年の基礎資料となっている。
縄文晩期土器に関しては別紙大渕遺跡を参照して欲しい。

 当遺跡は標高約4mの地点にあり、地表より約2mの深さのところで発見されたことから当時は海面より約2mのところにあったと云える。

船ヶ谷遺跡現場遺跡脇を流れる久万川情景

 地は松山市指定の埋蔵文化財包蔵地に当たり、平成10年の第三次発掘調査は店舗建設に伴う事前調査として実施された。

 特筆すべき検出遺構としては、縄文晩期〜弥生終末にかけての自然流路2条が発見されたが、埋土の状況から水量は少なく湿地状に澱んでいたと見られる。

 自然流路からは湿地状態のお陰で、漆塗りの椀・木偶状木器・木槌・曲物などの各種木製品が検出されている。

当遺跡出土の石斧

 然流路からは縄文・弥生土器と共に、石器類では写真のような石斧の他に打製石鏃・スクレイパー・石錘・叩石・石核などが出土している。

 以上のように自然流路からは多量の生活関連遺物が検出されたことから、当調査地西側の微高地に集落が展開されていたと推定される。

男女性器岩偶珍しい土偶

自然流路からは多量の土器・石器・木製品・植物遺体に混じって、西日本では極めて珍しい岩偶・土偶が見つかっている。
男女とおぼしき完全な岩偶は、他に土製の女性性器を象った遺物も出土していることから、男女のシンボルとして生殖崇拝が行なわれていたと見られる。
岩偶は土偶と共に甕棺墓に隣接して出土しており、埋葬に係わる祭祀遺物であったと考えられる。
 当遺跡は低湿地に立地していることと合わせて、出土遺物などから推定すると既に水稲耕作が行なわれていたと考えられる。

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