巻市は岩手県内陸部中央のやや南に位置し、西側を奥羽山脈、東側を北上山地に囲まれた北上川中流域に所在する。

 市域の西半は標高200〜900m級の山地が連なる急峻で起伏の大きな奥羽山脈の東縁部に広く横たわり、市域東半には比較的勾配の緩やかな標高150〜200m前後の北上山地西縁の丘陵が張り出し、その間支流河川が緩やかに西流し、北上川と合流している。

 北上川支流の猿ヶ石川や瀬川の低位段丘上に縄文集落が広がり、現在市内には163ヶ所の縄文遺跡を数える。

 それらの縄文遺跡の中から、今回は上台遺跡及び久田野遺跡を紹介する。

上台遺跡

 台遺跡は市街中心部の東約2kmに位置し、現在の北上川から約800m離れた、北上川左岸・標高約76mの沖積面上に立地する。

 平成13年市道敷設工事に伴い発見され、約2,000uの発掘調査の結果、県内では珍しい縄文草創期から晩期まで長期にわたる土器・石器類が検出された。

上台遺跡 穴住居跡5棟・土壙28基・落し穴遺構3基などが市道下に眠っている。
この他平安期の竪穴住居址なども出土している。

これらの遺構のうち、縄文草創期のモノは竪穴住居跡5棟・土壙1基が確実視されている。

無文平底土器 無文平底土器

 文平底土器は、県内では岩泉町・滝沢村など僅かな発掘例があるが、多数の石器を伴い、複数の住居跡から発見されたことで注目されている。

 土器付着の焦げ目や床面の焦げ跡の炭化物測定分析により、9,600年前後の土器であることが判明した。
無文平底土器が主流であるが、中には平行に複数条引っかいた条痕文付土器も見つかっている。

折れた石器 1,900点にのぼる石器類の中には、石鏃・礫石器・接合資料に混じり、数多くの折れた石器片が出土した。頁岩石の石材を意図的に何ヶ所か折り割っていると見られるが、その目的は不明。使用目的を終えた石器を、悪霊を追い払う為に折り割って廃棄する風習・儀礼が存在していたかも知れないが、類例が奇有と云う。

文草創期の風俗・生活文化が偲ばれるが、今後の更なる研究成果に期待したい。

久田野遺跡

 田野遺跡は北上川支流の猿ヶ石川左岸の中位段丘上、南から北へ舌状に伸びる標高90〜100mの台地上に位置する。

猿ヶ石川両岸には縄文・弥生遺跡が密集していることで知られる。
昭和63年宅地造成に伴う発掘調査が行なわれ、数多くの遺構・遺物が検出された。
平成2年以降、本遺跡の範囲・内容確認調査が毎年のように繰り返された結果、花巻市では最大級の縄文中期の集落跡であることが判明した。
大型住居跡をはじめ住居址50棟以上、数多くの土器・石器のほか、珍しい出土例としては完形土偶・完形斧状土製品が挙げられる。

久田野遺跡 遺跡周辺は、荒地・畑・水田・宅地地帯となっている。

住居址のほか、数多くの土壙・埋設土器遺構・集石遺構・落し穴・焼土遺構など生活に直接かかわる貴重な遺構資料が収集された。

縦長土偶と斧状土製品 縦長土偶と斧状土製品裏側

 長土偶及び斧状土製品は長径約12.9m・短径約11.4mの楕円形大型住居跡から見つかった祭祀用具と見られる。
この大型住居跡は中央の広場に所在し、その縁辺に住居跡が存在することから、集会場・儀式場と考えられ、出土遺物からも裏付けられる。

 土偶が完形で出土したのはこれが初めてと云う。
斧状土製品はこれ又完形のものは初めてと云われ、目玉・ヒレのような文様と鱗のようなギザギザ文が印象的で、デフォルメされた魚のようにも見える。
沈線文様が表裏共施文された斧状土製品は極めて珍しいと云う。

 これら以外にも同じ場所からミニチュア土器・円盤型土製品・耳栓などが検出された。
現在も発掘調査中であり、今後の発掘成果に期待したい。

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