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方形周溝墓は弥生前期中頃に近畿に現れ、その後全国に広がったとされ、4辺から2辺に溝を四角に巡らし、その内部に土を盛り、木棺・壷・甕棺・土壙墓などで埋葬したと云う。
方形周溝墓は家族墓・同族集団墓と考えられ、弥生時代全般にわたり55基も発見され、その中には木棺墓が13基もあり、組み合わせ式木棺・刳抜式木棺・丸木舟を転用した木棺など高級化は階層分化が進んでいた証拠で、中でも高級木棺墓は集団首長クラスの埋葬方法と見られる。
銅鐸の鋳型と共に発見された銅戈・勾玉の鋳型・フイゴなどからこの辺り一帯は青銅器を鋳造する工場跡と見られる。 |
銅鐸は集団の所有物で個人の墓に副葬されることはなく、階級社会・統率者の出現に伴って不用となり、人里離れた場所に埋められたと考えられている。 当遺跡で鋳造された銅鐸が、香川県の善通寺市・大阪豊中市・兵庫県豊岡市からも発見されており、当時広範囲な交易・文化交流があったことが判明した。 以下銅鐸・銅鐸鋳型及びフイゴについて、当地の経緯・特徴など詳細をご覧下さい。
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![]() 農耕具としては稲の穂先を摘み取る石包丁が多く発見され、大型石包丁・半月形・杏仁形など弥生前期から中期に属する。 農耕具・建材・容器などを加工する磨製石斧には、大形蛤刃石斧・柱状片刃石斧・抉入石斧・環状石斧など目的に合わせた工夫が見られる。 狩猟・武器用としては各種石鏃・石剣・石刀・石槍などが出土している。 石材は石鏃・石槍などの打製石器はサヌカイト、石包丁は粘板岩・結晶片岩など、又大型石斧は閃緑岩などが使われている。 |
![]() しかし弥生中期以降社会情勢に変化が見られ、戦闘用の石鏃・石剣・石刀などが増加し、軍事防衛的性格を持つ高台などの出現は、ムラ社会間の争いが増えて行ったことを物語っている。 これまでに出土した遺構・遺物の量・種類の多さは、今から約2,000年以上も前に東奈良の地に、文化性・社会性の高い東奈良弥生人が集落を形成していたと云える。 |