日向(ひなた)北遺跡は東村山市の西北部にあり、後川を刻む狭山丘陵から延びる尾根が切れる真北300mほどの微高地上に所在する。

 当遺跡の標高は約74m、東西約50m・南北約150mの広がりを持ち、東流する後川の谷に面した台地には石器時代から人々が生活を営み始めたと云う。

 当遺跡の発掘調査は1970年と1972年合わせて二度実施されたが、周辺には約50ヶ所にのぼる縄文遺跡が確認されており、それら全ては狭山丘陵の尾根筋上、ないしは尾根筋沿いに立地する。

日向北遺跡 遺跡の東側には学校が、線路を隔てた北側は風致地区に指定され、自然環境の保存に力を入れている。

 一方遺跡周辺では宅地造成・住宅開発が速やかに進められ、当遺跡の保存は危機的状況にある。

三叉文土器T 三叉文土器U

 土土器は縄文中期後半から始まり、後期・晩期に及んでいるが、晩期が主体で無文土器が圧倒的に多いと云う。

 そのような中で、上記写真のほぼ完形土器2点は特筆に価する。
土器の頚部や胴部に“三日月”形や“木の葉”形の沈線区画が施され、文様の区画間に三叉文が施されている。
又浅鉢土器の口縁部には小豆大の列点文が施されている。

 この文様構成は“安行式”の特徴として知られる。

耳飾り 期中頃の住居跡と共に土偶・土版・石棒などの呪術的な遺物、耳飾りなどの装飾品が検出されたが、その数は少量で、南関東の同時期の縄文遺跡としては極めて珍しい-ケースと云う。
又出土石器類でも石鏃を除くと、少量であったと云う。
土地開発に押され、遺跡の調査が不十分であったことを裏付けていると云える。

 当遺跡周辺を侵しつつあった土地開発の波は、遺跡のほぼ全域を侵食してしまい、辺りは昔日の景観を偲ぶ余地もなく、発掘成果も不十分のまま調査終焉を迎えつつある。

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