堀之内貝塚は市内国分町・下総台地の最西南端、国分台地の東谷奥に位置している。

 当貝塚は江戸川を挟んで東京に最も近い大貝塚として親しまれ、縄文後期初頭の堀之内式土器の標式遺跡として名高い。

 東西約120m・南北約225mの大馬蹄形貝塚で、国の史跡として指定・保存されている。

貝塚現場

 在でもあちらこちらに貝殻が散在し、ハイガイ・マガキ・ハマグリ・アサリ・サルボウ・アカニシ・イボキサゴなど内湾海水貝類が多く見られる。

 貝殻の堆積量が膨大であるが、長期間にわたり投棄堆積したものか、或いは貝殻のカロリーが低いこともあり、短期間に大量摂取したものかは分かっていない。

深鉢形土器を基本とする縄文土器は、大きさの多様性・器種の多様化・聖俗の分化・異形土器の発達など変化を加速させていった。

 植物食の普及に伴う寄鍋文化という特徴的調理法に効果的であった日常的深鉢形土器は、祭祀・儀礼の発達に伴う儀具として多用性に拍車をかけていった。

 以下の写真のように精製深鉢土器・広口鉢土器・大形注口土器などは典型的堀之内式土器である。

堀之内人骨

 葬の墓域が貝塚と重なり良好に保存された。
人骨格からすると、全体に頑丈で腕の筋肉をよく使った肉体労働型で、劣悪な栄養状態の中で筋肉を駆使して姿が蘇ると云う。

虫歯のある下顎臼歯

 顎臼歯は硬い食物や砂を含んだ料理を食べたため磨り減っており、又歯を道具に使ったため顎の筋肉・骨は頑丈であった。

 虫歯が多い点は、糖質を含む食物を多く食べていたことを立証している。

ペンダント類カンザシなど

 ・牙・鹿角・石・イモガイなどから作られたペンダント、鼓形土製耳飾り・鹿の骨角製カンザシなど多種多様に及ぶ。

 緑のヒスイ・色鮮やかな貝殻・生命力のある神秘的な角・猛々しさを象徴する牙などで作られた装身具の持つ呪力・霊力によって、悪霊の侵入を防ぎ、又魂の抜け出るのを防いだと見られ、特に身体を守る護身具であったと考えられる。

 堀之内貝塚からも”縄文文化”を物語る生活文化・精神文化が読み取れ、又それら文化の背景には堀之内縄文人のエネルギッシュな活動・不断の努力がったからこそと考えられる。