大 | 阪 | 府 | の | 池 | 上 | 曽 | 根 | 遺 | 跡 |
“神殿”と見られる掘立柱建物の高殿復元には和泉市三国山のヒノキ50本を使い、神殿手前の屋形内大井戸の井筒にはクスノキの大木を刳り抜いたと云う。
“いずみの高殿”は南北約7m・東西約19.2mの巨大建物で、独立棟持柱を有する。
これらの建物の他、サヌカイト剥片埋納遺構や土器埋設遺構なども復元され、男女に見立てた2本(うち1本が写真右側に見える)の立柱と共に、再生と繁栄を象徴する、約2000年前の“祭祀の空間”を演出していると云える。
それ以前の土器編年による相対年数を約100年も遡ることになり、本集落こそ“魏志倭人伝”に記す百余国のうちの一国であったと考えられ、やがて動乱期を経て卑弥呼の時代が始まった。
この地域は地下水位が高いため、一般的には残りにくい木製品・植物遺存体が数多く残存し、史跡・集落の解明に大きく寄与した。
又大型建物の柱や大井戸の木枠は当時の木材加工技術の高さを物語っている。
クスノキを使っていることも祭祀用の可能性が高いと云う。
|
大型御殿・大井戸周辺には、“手工業生産の工房”のような小型建物のほか、土器・石器を埋めた“祭りの場”やニ条の環濠及び環濠に囲まれた復元円形住居などが見つかっている。
![]() ![]() |
し かし弥生後期2世紀中頃には“倭国乱”を経て、集落は急速に衰退し、環濠も埋まり、集落は小規模ながら存続するが、地域の核としての地位は失われて行った。
環濠周辺で見つかった夥しい数の竪穴住居は紀元前1世紀を境に、円形から方形に移り変わったと云う。
男根をイメージした木製品、鳥形木製品、液体を掬う道具及び液体を汲む用具の順番に紹介する。 “和泉”の地名が表す豊富な地下水のお陰で、300点を越える大量の完形木製品が水漬けの状態で保存されていたと云う。
特に男性器形及び鳥形木製品は農耕儀礼にかかわる習俗を伝える資料として注目される。 |
これら木製品のほか動植物の遺物には、フグ・タイ・ハモ・タラ・コイ・アワビ・サザエ・クジラなど38種の魚介類や、猪・鹿・犬など陸上哺乳動物5種の遺骸が検出され、土器・石器類などを含む遺物の数量はコンテナ数万箱に及んだと云う。 植物類では桃・小豆・真桑瓜・瓢箪・稲などの栽培種を含め食用種33種が見つかったと云われる。
現在も11.4haに及ぶ史跡公園内の土地買収が進まず、公園整備が中断されている状態であるとともに、史跡公園外の文化財保護・保存についても、財政事情にも大きく左右され、現状のまま手づかずの情況に置かれている。 |