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石神貝塚は、関東平野の中央部に孤島のように浮かぶ大宮台地の南端に位置する。
これまでの14次にわたる発掘調査の結果、標高約16mの平坦且つ狭隘な台地上に縄文後期初頭から晩期中葉まで集落が営まれていた。 幅約30cmの自然木を切り離して敷設された、長さ3mほどの木道や、谷に降りるために作られた3段の木製階段や、或いはぬかるみを避け・滑らないように、敷詰められた土器群が姿を現わすなど、生活利便上の工夫が凝らされていた。 叉半径約150mのドーナツ型をした環状盛土遺構が見つかり、埋甕群・地点貝塚・祭祀場・住居跡などが重複した状態で検出された。 |
貝塚現場のケアーセンター及び外郭環状道路の西側に辺たる現場。 外郭環状道路の西側、大宮台地から連なる安行台地の谷地となる奥底に位置する。 開析谷に辺たる当地には、植物など自然遺物が地下水により保護され、酸化・風化することなく堆積した未分解質・本木質泥炭層が厚さ4mほどにわたって形成されていたと云う。 地層の断面には富士山などの山々が噴火した火山灰が見られ、ミズナラ・トチなどの木材を中心とした泥炭層が検出された。 |
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泥炭層の中からは大量の土器・石器などと共に、自然木の切り株や槌の柄のような加工製品のほか、漆が塗られた飾り弓・櫛片が見つかっている。 この他にも緑色鮮やかな木の葉や、甲虫の羽などが色彩も鮮やかに出土したと云う。 地下水が豊富なため、水中で空気に触れることなく腐らずに残っていたと見られる。 |
様々な木製品の中でも特筆すべき出土遺物として、鉢形・壷形の藍胎漆器及び編布を用いた漆の漉し布が検出された。 レントゲン写真で分かるように胎部は草類の茎を精巧に編み上げて成形しており、漆も均質に塗布していることから、当地漆工芸水準の高さを示している。
叉漆の漉し布の出土は、漆工芸の先進地と見られていた東北地方からの搬入品ではなく、 |
黒土の中から緑色鮮やかなヒスイが数点検出され、真中に孔が空けられていることから耳栓と共に装身具として使われたと見られる。
土偶は顔・頭部だけが見つかったが、全体像としては大柄な部類に属する石神縄文人の精神文化の一端が垣間見られる。 |