垣ノ島遺跡は国道バイパス工事に伴い平成11年から発掘調査が行われ、縄文早期前半の竪穴住居・早期前半〜後半の土壙ほか多量の遺物が確認され、縄文早期を中心とした集落であることが判明した。

南茅部町は津軽海峡から恵山岬を回り太平洋に出てから約33kmの海岸線を持ち、縄文早期から晩期に至る遺跡が88ヶ所見つかっており、「縄文の里」として知られている。
特に縄文前期中頃から中期末にかけては海岸段丘上に・ハマナス野・臼尻B・大船Cなど推定住居数が千軒にも及ぶ大集落が並んでいる。
垣ノ島B遺跡では平成12年の発掘調査で日本最古級の漆製品が発見され、注目を集めた。

漆製品は土壙墓に副葬され、頭部の位置に櫛状のモノ、両肩口から上腕にかけては衣服の装飾品と見られる漆塗りの糸を編んだモノ、腕輪や足元には小玉が連なっていたと云う。

遺体は腐食しているが位置関係から仰臥屈葬と考えられている。

土壙墓は約5,800年前に噴火した駒ケ岳の火山灰下にあり、土壙墓の周辺で出土した土器編年からも6,500年前頃の縄文早期末と見られている。

この時期墓の副葬品として華麗な漆製品で手厚く葬られた人が存在していたことは既に階層的社会があった可能性を示唆している。

発掘現場T 発掘現場U 発掘現場V

 ノ島B遺跡に隣接した垣ノ島A遺跡は、国道バイパス工事に伴い引続き発掘調査が進められている。

 平成13年から発掘調査が始まった当遺跡からは写真の通り住居址・土壙墓などが検出されている。
又完形の異形土器・朱塗り土器なども出土し注目されている。

以下垣ノ島遺跡から出土した、大変貴重な足型付及び手型付土製品を紹介する。
最後の指の押型文が付いたような写真が手型付土製品です。

 文早期後半(約6,500年前)の土壙墓4基からは合わせて17点の足型又は手型付土製品が確認され、中には一つの土壙墓から10点も出土している。
このケースは墓壙の規模が大きく合葬と考えられている。

 足型付土製品は3点の写真の通り小判型或いは台形状を呈するもので、かかと側には1つ又は2つの小さな孔が見える。
これら土製品は直径10〜17cm・厚さ1〜2cmで、又足型は最小6.9cm・最大11.7cmあり、推定年令は0〜3歳程度の幼児のモノと推定されている。

 片足だけ押されたり、両足が押されたり、又手型が付いたモノなど様々である。
同じ土壙から出土した土器編年から縄文早期後半のモノと考えられ、日本最古級の足型付土版として注目される。

 これらの土版には孔が空いていることから、幼児の死後足型文や手型文を取り一端屋内に吊るし、母親の死後一緒に葬られたと考えられる。
母親が死去するまでは引続き家族の一員と見なされていたのではないか?

 当時の生活風習を知る上で貴重な資料と云える。

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