角間崎貝塚は若美町では最も古い遺跡で、日本海沿岸では珍しい縄文前期の貝塚。

 およそ6,000年前の縄文前期は今より年平均2℃ほど暖かく、現在の海水面よりも5〜7m高かったと推定され、この頃の男鹿半島は島で、若美町は中央台地のみが海に浮かび、現在の集落が位置する低地は海底であったと考えられている。

 明治26年に発見されて以降、二回の発掘調査の結果、貝塚から土器・石器・骨角器などの道具や、獣骨・魚骨・貝殻などが見つかっている。

(夜景の発掘現場)
間崎部落の中央、県道の両斜面に所在し、標高約40mの段丘縁に位置している。

縄文海進の最盛期に形成された貝塚として注目された。

鹹水性貝類 同貝類U

 層は4層から成り、調査地区によっては地表から第4貝層下の地盤まで約2mの厚さに達していたと云う。

 出土した貝類はサザエ・オキシジミ・チョウセンハマグリ・アカニシ・サルボウ・アサリ・オオノガイなど20種に及び、ほとんどが海産のモノで、特にオキシジミが多かったと云う。

 磯浜にしか生息しないサザエ、外海に生息するチョウセンハマグリ、内海の奥で生息するオキシジミなどの特徴から、当時の“男鹿島”全土を活動範囲とし、現在の八郎潟は一つの湾であり、大きな内海であったと見られる。
出土貝類から地形が読み取れる貴重な資料と云える。
叉貝類はこじ開けられた痕跡が無いことから、お湯を使用したものと考えられている。

石匙・凹石 石斧・石槍 石錘・石斧

 器類は石鏃・石匙・石斧・石槍・凹石・石錘などが出土しているが、特に石錘が多く叉骨角器では骨針・骨製銛が多いことからも、漁労活動が活発であったと見られる。

 魚骨ではスズキ・コチ・サバなどが出土している。

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