亀ヶ岡遺跡

は、岩木川左岸の低丘陵並びに周辺低地部に広がる縄文後期から晩期の泥炭層遺跡。

 本遺跡の発見は古く、1622年津軽藩主による亀ヶ岡築城工事に伴い、多量の土器・土偶などが出土し、「永禄日記」に記録されたと云う。
我が国考古学史上最初の文献として知られている。

 “亀ヶ岡文化”として親しまれている呼称は、東北地方縄文晩期の文化を意味し、他の地方とは違った絢爛たる文化を代表するほど異種独特の発達を遂げている。
特に多様な土器形態、極めて芸術的な文様、特有の石刀・石剣・独鈷石などの石器、精巧な骨角器や土偶などの土製品、日本最古のガラス玉・稲籾など完成度が高く卓越した縄文文化は究極の姿を見せている。

多量の出土品の散逸を防ぐため,昭和19年に隣接する“田小屋野貝塚”と共に国史跡に指定された。

遺跡現場遠景 遺跡現場 周辺環境

 路沿いの遺跡公園、モデルの遮光器土偶及び直前に広がる津軽平野。
現場は周囲が田んぼで直ぐ脇を県道が通っている。

 写真の石像は世界的に著名な遮光器土偶がモデルになっているもので、現地では“シャコちゃん”として親しまれている。

複製土偶 典型的土偶

 製遮光器土偶及びふくよかな縄文晩期の典型的土偶。
高さ34.5cmの複製遮光器土偶は明治初頭に検出され、目が細く、北方民族のゴーグル風サングラスに見えたり、宇宙服とも云われるデフォルメされた怪しげな姿。
現物は国指定重要文化財として文化庁に保管されていると云う。

 その異様な形態、驚くほどの精緻なデザイン、赤く彩色され、わざと毀損されたと云われる左足など、この土偶製作の意図・真意は古代のロマンに導く。

 その他遮光器土偶にソックリで、ふくよかな胴体を持った土偶は肝心な頭部が欠落しているが、遮光器土偶のように見える。

次に亀ヶ岡縄文人の美に対する探究心の結晶である、朱・丹などベンガラ塗飾、漆塗り、独特な入組文様などを紹介する。
それでは先ず赤色顔料塗り壷形土器3点、漆塗り彩文土器、漆塗り異形土器、彩文藍胎土器片そして香炉型土器を順番にご覧下さい。

 全な形の土器が1万個以上も出土したと云われているが、中でも朱・丹などベンガラ塗飾、漆塗り、独特な入組文様など亀ヶ岡縄文人の美に対する探究心には驚嘆させられる。

 写真のように壷形土器全体が赤色ベンガラで彩色された色彩感覚、竹・樹皮などを編み、麻布を貼り付けて漆を塗り、模様を描いた“藍胎漆器”に見られる漆文化の知恵及び卓越した芸術完成度には目を見張るばかり。

 香炉形土器上部2ヶ所に窓状の穴を開け、周囲に緻密な透かしを彫り、下半部には流麗な雲形文が施されており、装飾効果を高めている。
祭祀用と見られる。

鯨骨製皿 玉砥石 漆塗装飾品

 骨に塗飾した皿らしき器、玉類用の砥石、朱塗り耳飾り・ペンダントなど身体装飾品などにも作業工具に秘められた知恵、彫刻風の多様な文様、工夫を施した形状など芸術感覚が示されている。

 以上のように亀ヶ岡縄文人の美への憧れが異種独特の文化を創ったことが分かる。
先住民の知恵・美意識に対しロマンを禁じえない。

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