高津貝塚は、霞ヶ浦沿岸に点在する多くの貝塚の中でも最大規模を誇り、保存状態も良いことから昭和52年に「国史跡」に指定された。

 当貝塚は土浦市の西部に広がる台地上に所在する貝塚で、現在まで何回となく発掘調査が断続的に実施され、縄文時代後・晩期(約3,000〜4,000年前)に創られた関東地方を代表する貝塚と云える。

貝塚現場貝塚現場U

 4.4haに及ぶ貝塚史跡は「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」として整備・保存されている。

 史跡の復元整備に当たっては地形測量をはじめ、地中レーダー探査、縄文当時の古環境を推定するためのボーリング調査、花粉分析など最大限の調査を行ない忠実に再現したと云う。

貝層断面

 層断面は展示施設で公開されている。
楽しみながら学べる施設の一つで、公園内には復元された竪穴住居・掘立柱建物・土壙、展望デッキ、塩作りをした復元大型炉や考古資料館など屋内外に観察できる諸施設を充実整備している。

典型的貝類

 マトシジミを中心にハマグリ・シオフキなどが見られる。

 霞ヶ浦の最奥に位置していることから、海水性・淡水性・汽水性の貝類・魚類が併存していることが分かる。
魚骨ではクロダイ・スズキの出土例は、湾内の海水性・汽水域を合わせ持っていた証左と云える。

当貝塚遺跡から出土した魚骨・貝・獣骨製のアクセサリーの一部を、以下の順番で紹介する。

 石と骨製のペンダントやカンザシ、腕輪やヒスイ製大珠、そして土製耳飾り類など多種に及んでいる。

埋設土器死者被土器

 の埋設土器はサイズから幼児のモノと見られ、又土地に蘇えし再生を祈願して死者に土器を被せたと考えられる。

 当時の埋葬方法の一端を窺い知ることが出来る。

 霞ヶ浦の南岸、浜辺を望む高台に居住していた上高津縄文人は好環境にも恵まれ、物心共に豊かな縄文文化を満喫していたと見られる。

戻る