唐古・鍵遺跡は奈良盆地のほぼ中央、標高約48mの沖積地に立地し、弥生時代を代表する大規模環濠集落で、その占有面積は約30万uに達する。

 昭和11年第1次調査以来、平成15年には第96次調査を数え、その間炭化米・木製農具などの検出は稲作農耕文化を立証し、近年の調査における楼閣絵画土器・青銅器鋳造遺構・大型建物跡などの出土は、“弥生都市”を彷彿とさせる。

 平成15年の発掘調査は環濠内部の西地区に当り、弥生中期中頃の大型建物跡・溝・井戸などが検出された。

現地説明会 同風景

 成15年10月に催された現地説明会には、早朝から多数の考古ファンが押し寄せ、巨大環濠集落の新発見に寄せる関心の高さが窺える。

 大型建物跡の出土は2例目で、正面13.7m・奥行き約6m・床面積82uほどの高床式建物で、柱穴の深さが約1.5mあることから、6m前後の高層建物と見られ、権威の象徴的存在であると云える。
“巨木文化”は縄文時代特有のモノではなく、弥生時代まで受継がれていたとも云える。

大型建物跡 同U

 列は建物中央と東西両側の3列に並び、中央柱列は6本、東西両側の柱列は7本から成り、東側には更に3本が据えられ、添え柱と見られる。

 これら計23個の柱穴跡からは18本に及ぶ柱の一部が見つかり、この巨木文化は弥生都市の隆盛期を象徴している。
この大型建物は首長の館か、或いは祭祀・政治を執り行う施設であったかもしれない。

巨大柱根 巨大柱穴

 径80cmほどの巨大柱痕と長さ3m・幅1.5mほどの柱穴。
写真のような直径80cm余り・長さ約1.5mの最大の柱材を含め全てケヤキ材で、他の柱材は直径45〜70cmほどで、柱穴の深さは1.0〜1.5m程と見られる。

 今回の大型建物跡は柱穴から出土した土器から、弥生中期中葉(約2,150年前)に建てられたと見られ、集落全体を囲む大環濠が巡らされていた弥生隆盛期の西地区中枢部に、その偉容な姿を誇っていたと考えられる。

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