嘉徳遺跡は瀬戸内町北東部に位置する、人口わずか50人ほどの嘉徳集落を流れる、嘉徳川河口左岸・標高11mほどの孤立砂丘に立地する。

 本遺跡は石囲いや炉跡など、長期にわたる生活の跡が歴然としているにも拘らず、柱穴など住居址は見つかっていない。
この点から海浜での採取活動を中心としたベースキャンプ的生活の場であったことが想定できる。

 この時期には小規模遺跡が多く、マガキの一括出土状況などのケースもあり、季節毎の貝の採取キャンプ地が点在していたかも知れない。

遺跡現場 海岸線光景

 地であるため柱はあっても柱穴は残らなかったかも知れず、或いは柱のない住居であったのかは不明。
しかし中央に10ヶ所を越える石組みや焼土地点が数ヶ所あるなど生活面の痕跡は残されている。

 集落の東側に広がる遠浅の海岸線は、絶好の潮干狩り・採取場であったことは想像できる。

二重口縁土器 同上面 嘉徳式土器

 居址内のピットに横倒しに置かれた二重口縁の土器は、周辺の焚火の跡から、何らかの呪術に使われていたと見られている。

 土器上面に置かれた受け口や携帯用かと思われる通し穴のような構図から、祭祀目的の携帯ランプとして使われたかも知れない。
このような異型土器は極めて珍しく、本島の独自性が窺える。

 一方出土した土器の大半は縄文後期に該当する、宇宿下層式・嘉徳式土器から成る。

(打製石斧)
 器では叩石や石斧が多く、石鏃は皆無であったと云う。
貝類の採取・木の実などの採集を主とした、食糧獲得目的のキャンプ場であった可能性が高い。

今後本遺跡周辺の開発機会が訪れると、更なる新発見が期待されるのだが・・・・・・・

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