北方貝塚は市街地の南西約4km、標高20〜25mの台地上に位置し、台地は東西約3km・南北約1kmの独立丘陵を成している。

 台地の西側には利根川・小貝川が流れ、その周囲は沖積低地という環境の下、貝塚は台地縁辺部に、集落跡は台地中央部に存在する。

 貝塚からはハマグリ・サルボウ・ヤマトシジミ・アカニシなどが見つかり、海水・汽水・淡水という利水豊かな自然環境を裏付けている。

北方貝塚現場

 内には6ヶ所の貝塚が確認されているが、そのうち貝類の散布範囲が最も広く、明治時代から調査報告が為されているが、当貝塚の本格的調査は昭和60年宅地開発に伴い実施されたと云う。

 しかし当貝塚のエリア確認が主目的で、竪穴住居跡数など詳細は不明で、現在は貝塚公園として保存されている。

 調査の結果、当貝塚は馬蹄形状を呈し、台地縁辺部に貝塚が確認され、台地中央部には縄文中期・後晩期の集落が存在したと見られている。
貝塚以外に竪穴住居跡・土壙などの遺構が検出されている。

異形土器異形石器U

 国的にも大変珍しい異形土器は背丈が高いが、香炉用として使われたか呪術用に使われたかなどは不明。
異形石器は石冠か或るいは独鈷石か、いずれにしても何らかの祭祀用に使われたと見られる。

山形土偶ミミズク土偶

 内からは23例の土偶が出土したと云われているが、そのうちの2例が当貝塚のモノ。
県南部を中心に分布する加曾利B式の山形土偶と安行式のミミズク土偶。

 狩猟・漁労・植物採集を可能にする生活環境・自然環境に恵まれていただけに、自然に対する畏怖・畏敬の念を、異形土器や土偶などの形として表現したと考えられる。