黄金貝塚は噴火湾東部の海岸段丘が舌状に張り出した斜面部に立地し、未発掘のもう一つの台地を合わせると遺跡全体では30万uほどの広がりがあり、そのうち“国指定史跡”部分は8.7万uほどである。

 当貝塚は5ヶ所の貝塚地点より構成され、縄文早期(約7,000年前)から晩期(約4,000年前)にかけ約3,000年間の長期にわたり存続したが、その間寒冷化という自然現象の変化に伴い海退が進み、貝塚は台地の奥から先端へ移動すると共に、貝の種類も温暖系のハマグリからカキへ、更にアサリ・ホタテ・ホッキというように寒冷化現象を如実に物語っている

 噴火湾は道内屈指の漁場で、噴火湾沿岸には11の市町村に約300ヶ所の遺跡が密集し、それらの多くは縄文遺跡であり、中でも貝塚となると伊達市が最も多く全道の五分の一を占めると云う。

貝塚公園全景 貝塚公園 貝塚現場

和62年に国史跡に指定され、平成13年に現貝塚公園が完成したが、これまでの発掘調査は全体の数%に過ぎず、今後とも考古学的・人類学的にも新しい発見・研究成果が期待される。

 北黄金集落遺跡からは、住居跡・墓・シカ用落し穴・盛土遺構・水場遺構などの遺構が検出された。

水場遺構

 水地点を調査した結果、縄文前期(約5,500年前)の石敷の“作業場”・“人工池”・水際に下りる“足場”が発見された。
現在でも水が豊富に湧き出ている。

 水場遺構としては国内最古例と云われ、北海道式石冠(磨石)・石皿など1,200個以上がビッシリと敷き詰められ、それらの石器類の99%は壊れた状態で、使命の終わった石器をわざと壊し、感謝と再生の儀式が行われた神聖な場所と考えられる。

 水場を供養の場としたのは、水が生まれる神聖な場所であると共に、生活材料として不可欠な石が採れる“道具が生まれた場所”として崇められ、石器を壊すことで“あの世”へ送り再生を祈願したと考えられている。

北海道石冠

 海道式石冠は、本州の祭祀用具である“石冠”に形が似ていることからそう呼ばれているが、石皿とセットで磨石として使われたと見られている。
北海道及び東北北部の一部に限られ、又時代も縄文前期及び中期に限られるが、何を擦り潰したかは不明。

 当貝塚からは大量に見つかっており、生活実用品と考えられるが、役目を終えた後は、不要になった石皿と共に大量に壊され供養されたものと見られている。

 把手の付いた磨石はいかにも使い易く実用的で、当地には木の実など植物堅果物が少ないことを考えると、魚類などのすり身作りに使われたとも考えられる。

縄文前期人骨

 塚から縄文前期の人骨14体が発見され、「貝塚は全ての生き物の墓地」として魚介類・動物のみならず、木の実の殻・いろりで燃やされ灰になった植物などにも感謝と祈りが捧げられ、供養されたと見られる。

 これら14体の人骨は上向きか横向きかに屈葬されると共に、埋葬された土の上に石皿・磨石や土器などが供えられ、道具と共に“あの世”に送られた供養の儀式は、アイヌ民族の伝統的な“もの送り”の儀式にも伝承されていると云う。

 これまでの人骨の人類学的調査研究の結果、道内の縄文人の特徴はそのまま続縄文人(北海道には本土の弥生時代を象徴する稲作文化がない)・擦文時代(土器を擦る共通の文化期)から中世・近世のアイヌ人へと受継がれて行ったことが判明している。

 しかし縄文人の源流民である旧石器時代人が中央アジア・日本列島から北海道へ北上したのか、又は北方から南下して行ったかは不明。

各種魚骨 動物骨類

 れまでの人骨のコラーゲン調査の結果、オットセイ・アシカ・クジラ・イルカなどの海獣から50%、マグロ・スズキ・ヒラメなどの魚類とカキ・ホタテ・ハマグリなどの貝類からは30%のタンパク質を摂取していたことが判明した。

 動物はシカ・キツネ・ウサギ、鳥類はウ・ハクチョウなどが生活圏の範囲で狩猟され、ドングリ・クルミなどの木の実はほんの僅かしか検出されていないと云う。

 虫歯の研究からもドングリ・クリなどのデンプン質を摂取した本州縄文人に比較して、虫歯が圧倒的に少ないと云う。

 6,000年前のクジラ骨製刀は、後の中国金属製刀に真似たモノでなく、世界でも最古の“刀の形”の出現例かも知れない。
自然災害・悪霊などを“切る”ための呪い用具だったと考えられる。

 一方シカの骨角は丈夫で扱い易いため漁労・儀式・装身具など様々な用具に加工されている。
スプーンやヘアーピンは突起・スリットなどの精巧な装飾が凝らされ、実用でなく何らかの儀式或いは魔除けなどに装着していたと考えられる。

 以上のような精巧な祭祀用具づくりのほか、縫い針からは衣服・刺繍などの実用に供した器用な手作業さばきが窺い知れ、生活全般に高度な手作業文化が浸透していたと見られる。

 貝塚に堆積した食物遺体・道具は縄文人が自然の中で自然を最大限活かしていた、今日的課題である「リサイクル」の姿が見える。

 今日あらためて縄文人の生き様が見直されているのは、常に自然を畏れ敬い、自然に感謝し、自然の中の一員であり続ける真摯な姿・考え方に他ならないと信ずる。

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