小牧野遺跡

は、荒川と入内川に挟まれた、標高約140mの杉林に覆われた舌状台地に位置する、縄文後期前半(約4,000年前)の環状列石を主体とする遺跡。

 平成元年青森市内高校の発掘調査をきっかけに、平成2年以降青森市による本格的調査が繰返されてきた。

 今日まで継続的発掘調査の結果、2,400個余りの安山岩・河原石による外帯・内帯・中央帯の三重環状列石をはじめ、竪穴住居址・土器棺墓・貯蔵穴・土壙墓群・道路状遺構・湧水遺構などの遺構のほか、各種壷形土器・石器・石製品・土製品などが検出された。

平成7年“国史跡”に指定され,その面積は約88,000uに及ぶ。

環状列石は縄文時代の埋葬・祭祀・儀礼に深く関わるモニュメントで、土地造成・石の運搬など大規模土木工事の実態を知る上で、極めて貴重な祭祀的要素の強い遺跡。

又このような大型環状列石は、代々首長等身分の高い人達の墓と推測され、既に階級社会が形成されていたとも考えられる。 

環状列石T 環状列石U 環状列石V

 跡現場からは青森市街地・陸奥湾を望むことが出来る。

 本環状列石は直径約35mの外帯、約29mの内帯、2.5mの中央帯の三重輪で構成され、外帯・内帯は規則的に河原石が配置され、小判形の石を縦に、両側に平らな石を3〜6個積み重ね、これを繰返すことで造形されている。

 この石組形態は、緩やかな斜面を利用した立体的構造を持つ石垣に似た石組みを成し、「小牧野式配列」と呼ばれ、同時代の他の環状列石とは際立って異なると云う。
この立体的環状列石は、あらかじめドーナツ状に造形された土盛が土台となっており、円形劇場のような迫力を抱かせる。

 中央広場からは土器片など遺物が見当たらず、聖なる空間と見なされ、彼らの精神世界を担う祭祀場であったと考えられる。

次に環状列石の広場に配置されたいろいろな石組を紹介する。
それでは順番に中央立石・円環状組石・ミニチュア環状列石・配石墓・土壙墓をご覧下さい。

次に埋葬用のいろいろな土器を紹介する。

埋設土器 土器館 大型壷形土器

状列石の外周には住居址・捨て場・貯蔵穴域・墓域などが見つかり、小牧野集落の輪郭が見え隠れする。

 土壙墓群を主体とする墓域からは土器・石器・石製品などが多量に見つかっている。
特に墓域からは埋設土器・土器棺が検出され、土壙墓や埋設土器に埋葬した遺骸を数年後に取り出し、土器棺に納め、再び埋葬する再葬墓と考えられる。

 平成16年の発掘調査では、円環状石組遺構の中心直下から埋納された土器棺と見られる大型壷形土器が確認されている。
線刻モチーフは、八ヶ岳周辺の土器を思わせる。又平成14年の調査では、中央帯の巨石の下部から、柱穴を伴う土壙墓も検出されている。

 しかし環状列石内外を含む集落全体としての墓制は見えてこない。

今後の調査・研究が待たれる。

三角形岩板 円形岩板 各種石器

真左側より、角形岩板・ペンダント・土偶など、三角形・円形岩板など、そして石斧・石皿・石鏃・石錐・石匙・鐸形土製品など。

 墓域で見つかった石器・石製品で際立っているものが、祭祀的要素の強い三角形及び円形岩板で、中でも三角形岩板は300点以上も出土し、注目されたと云う。
泥岩・凝灰岩製三角形岩板は、表面が亀甲状、裏面が平滑的状態を呈し、青森湾周辺から数多く出土している。

 これらの写真に見られる岩板類・土偶・鐸形土製品などは祭祀・儀式に使われた非日常的遺物で、環状列石の性格・精神世界を象徴していると云える。

 今後の課題として現在の自然環境を大切にしながら、当時の環境・植生の復元を行い、「生きた学習・体験の場」として、親しまれる「史跡公園」の整備に期待したい。

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