南高野貝塚

は、久慈・茂宮両河川が形成した広大な沖積台地南端の縁辺に開析されて、小さな谷に挟まれた台地縁辺に立地する。

 本貝塚は昭和27・31年の発掘調査の結果、縄文中期・後期・晩期の遺跡であることが判明。
阿玉台式・加曾利・大木・称名寺など同時期の型式土器が出土している。

 土器以外にも、石斧・石錘・石皿などの石器類、ヤマトシジミ・アカニシ・バイ・ハマグリなどの貝類、サメ・エイ・スズキ・カツオ・クロダイなどの魚類、シカ・イノシシ・カワウソ・イヌなどの哺乳類が多量に出土している。

市内には、もう一つ“泉原貝塚”があり、縄文前期の貝塚として知られている。

遺跡現場T 遺跡現場U 遺跡現場V

 跡公園丘陵の頂上部にあり、公園には本貝塚のほか円墳・横穴墓群が含まれており、うち貝塚は昭和54年県文化財史跡に指定された。

 周辺の地形から、この台地の南面低地には当時太平洋が湾入していたと見られる。
現在までに本貝塚周辺は宅地化が進み、すぐ際まで住宅が建てられ、貝塚自体も表土が剥ぎ取られたり、貝層が露出するなどの被害を被っていると云う。

(オオツタノハ製貝輪)
地平坦部から幼児骨と共に採集され、中には赤色顔料が塗布されている貝輪もあったと云う。

オオツタノハ貝は、伊豆八丈島以南の暖かい海にしか棲息していない貝類で、海岸に沿った広域に亘る文化交流ルートの存在が想起される。
又貝塚に含まれる貝の種類は汽水性のヤマトシジミが主体で、縄文海進・海退に伴う海岸線の進退を物語っていると云える。

以下文字列にポインタをおくと、切断痕のある骨角や骨角器をご覧いただけますよ!

 遺存骨角の中に見つかった切断痕を残すシカの角

 同じく切断痕を残すイノシシの骨

 シカ角製釣針

 イノシシの骨製や石製のペンダント

ノシシ骨を含め遺存角・骨の中には、写真のように切断した痕跡を残すモノがあり、釣針ほか骨角器製作工程を考える上で興味深い資料と云える。
釣針は角が枝分かれして“J”字状になった部分を上手に利用している。

以上本貝塚は日立地方の自然や人々の生活を知る上で貴重な遺跡であり、現在史跡公園として保護されている。

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