宮之迫遺跡は南之郷の北側台地上に立地し、昭和55年県営特農事業に伴う発掘調査の結果、縄文中期〜後期に属する大量の土器片・石器類が出土した。

 しかし住居跡・土壙・集石炉など日常生活に直結する遺構は少なく、遺跡の性格としては土器・石器製作を目的とした生産基地・キャンプ場であったと見られる。

遺跡現場T 遺跡現場U

 の南之郷台地上には現在広大な芋畑が農営されている。

 本遺跡現場は標高240mほどの台地上にあり、ここからは総数10万点を超える遺物が出土し、それらの一部が復元・展示されている。
土器片が復元されるにつれ、末吉縄文人は素晴らしい文化を持っていたことが判明した。

鉢形土器 七角山形土器 土偶文様土器

 から順番に口縁部に幾何学文様付鉢形土器、七画の山形口線・胴部が膨らむ器形、口縁部に土偶のような文様が施された土器。

 口唇部に3〜4本の横走平行線と直・曲線を組み合わせた幾何学文様、三角形文・菱形文・円形文などが規則的に施された阿高式、土偶のような文様に縁取られた土器など一点一点が異なる器形・文様を有しており、末吉縄文人の世界観・美感が窺い知れる。

 土器が発掘された当時の状態は、隙間なくビッシリと詰まっていて、完形土器が立っていたり、横に倒れていたり、逆さになっていたと云われ、多種多様な土器埋納方法には格別の意味が込められていたかも知れない。

石錘 打製石斧

礫の上下端を打ち欠いて溝を加工した、多量の漁労用具は当時の海岸線が近くまで迫っていたことを物語っている。

 石器を打ち欠いたり、磨いたりした石斧は砂岩製が多く、石皿・磨石などセットで調理用に使われた石器類と合わせ、当時の採集食生活を裏付けている。
しかし狩猟用の石鏃が一点しか発見されていない点は注目に値する。

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