宮滝遺跡は吉野川に面した風光明媚な地にあり、縄文・弥生・飛鳥・奈良の各時代にわたる当地の代表的遺跡として知られている。

 宮滝の台地面積は約12haあり、そのうち約5haの地下に各時代の遺跡が眠っていると見られ、昭和5年以降平成12年にかけて59次にわたる発掘調査が実施されたが、推定遺跡範囲の20%にも満たない状況。

 当遺跡現場は天武・持統天皇が度々訪れた吉野の宮跡と見られ、昭和32年”国の史跡”に指定された。
では遺跡現場をジックリご覧下さい。

以下文字列にポインタをおくと、”万葉集”にもその美しさが多く詠まれているという宮滝遺跡現場に出会えますよ!

 小学校校庭を臨む宮滝遺跡の石碑

 史跡碑から畑地方向を見渡す遺跡現場

 吉野川沿いに広範囲に広がる遺跡現場

 巨岩・奇石でおおわれた吉野川、水の流れはエメラルドグリーン色に輝いている!

宮滝土器 文後期の土器編年の基準資料として位置付けられ、巻貝を押したり、引いたりして文様を付けているところに特徴がある。
土器にはこの他瀬戸内から北陸・東海・更には東北地方産の型式土器が出土しており、広域にわたる文化交流の一端が窺える。

 の写真は当遺跡から出土した各種石器類。
石皿・叩石、石錘・石弾、石鏃、そして打製石斧などは吉野川沿い西寄りの河岸段丘下から集中して出土しており、この辺りが宮滝集落の中心であったと見られる。

 のような生活用具は狩猟・漁労・採集を裏付け、縄文人が定住したのも自然の恵みが豊富であったからに他ならない。
最新の発掘調査からは縄文早期の遺物や集石・小ビット・土壙なども発見されており、住居地は見つかっていないが、宮滝縄文人が定住していたことは間違いないと云える。

 気象環境から冬場は吉野川下流域で生活し、温かくなるとイノシシ・シカや木の実を求めて川を遡り、宮滝をキャンプ地として利用していたかもしれない。

 今後の更なる発掘調査により、宮滝縄文ムラの実態解明が進むことを期待したい。

今回もご覧いただきありがとうございます。ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。又のご来訪をお待ち申し上げます!