代田町は標高850m前後に位置し、日本屈指の活火山である浅間山の南麓に広がる高原地帯にあり、叉長野県の東の玄関口に当り、東は軽井沢町・西は小諸市・南は佐久市・北は群馬県嬬恋村に各々接している。自然豊かな高原の町と云える。

 千数百万年前に浅間山の巨大噴火により噴出した火山灰・軽石・砂礫などの堆積地形が、長い間に河川によって削り取られ、凹地の谷と凸地の台地という断層ができて、特有の地形を構成している。
このような地形のため、山腹では伏流水の湧水が多く、山麓平地では凹地に流水があっても台地上は水に恵まれない地形となり、先人はこの地形のメリットを存分享受してきたと云える。

 御代田町塩野地区で、土地改良整備事業による圃場整備が計画されたため、それに先立って平成2〜4年にかけて発掘調査が行なわれた結果、縄文・弥生・古墳・平安各時代にわたる6遺跡が発見された。

それら遺跡群の中から、縄文時代の川原田遺跡及び滝沢遺跡を以下紹介する。

川原田遺跡

 原田遺跡は活火山浅間山南麓の標高870〜880mの舌状台地上にある遺跡で、平成2年に発掘調査が行なわれた結果、縄文前期・中期の集落が検出された。
今回の発掘調査は集落全体のほぼ8割に当る8,800uをカバーし、台地上の遺跡の全貌がほぼとらえられたと云える。

 特に注目されるのは、46軒の住居址からなる縄文中期の集落で、その住居址からは“焼町土器”という特徴的土器のほか、土偶・土製円盤・石鏃・石匙・削器・石錐・打製石斧・磨製石斧・石皿などが出土した。

遺跡現場T 遺跡現場U

 久地方で縄文中期の集落のほぼ全体が検出された例は極めて珍しく、叉集落の構成は中央に広場を持つ馬蹄形の分布を見せている。

 この遺跡現場からは縄文中期の集落のほか、草創期から早期の石器や土器及び縄文前期の住居跡6軒も検出された。

住居跡復元 文中期の住居跡は柱の配列も定まり円形を呈している。
大きさは大中小と様々であるが、石囲炉を伴っている。
周辺には土器が散乱している。

石囲炉は中期中葉の円形から、中期後葉には方形へと変化している。叉46軒中3軒には埋甕炉が認められたと云う。

焼町土器T 焼町土器U 焼町土器V

4,500円前の“焼町土器”の特徴は、眼鏡状やV字型の突起・渦を巻きうねる曲線・それに添う沈線と列点刺突文など躍動感溢れる文様で飾られている。

 数多く出土した焼町土器はどれ一つとして同じデザインのものはなく、美しさの原点は「奔放と究極なまでの装飾」を追及したことにあると云える。
これらは浅間山麓特有の土器で、縄文土器工芸の最高傑作の一つであり、縄文中期文化の中心的存在であったと云える。

 これらの文様・記号には如何なるメッセージが隠されているのであろうか?

 焼町土器をはじめ、石器・土偶など縄文中期の出土品146点が平成11年に国の重要文化財に指定された。

滝沢遺跡

 沢遺跡は川原田遺跡から南西500mほど、日当たりの良い標高約850mの緩斜面に位置している。
この地方一帯は浅間山の第一伏流水が涌き出す湧水地帯で、縄文から現代までムラが営まれ続けてきた。

 平成4年に約25,000uが発掘調査された結果、竪穴住居址・焼骨を伴った土壙墓などの遺構のほか、彫刻入り滑石製ペンダント・耳型土製品など大変珍しい貴重な遺物が検出された。
今回の調査で、特に縄文中後期の土壙61基を伴う墓群が見つかったことが大きな成果と見られる。

遺跡現場T 遺跡現場U

 遺跡の遠方には八ヶ岳連峰を望む。
本遺跡が立地する台地は、幾筋かの小河川によって分断され、各々が独立した小台地となり、今回の調査は小台地毎に3分割して進められた。
主役は縄文中後期のムラで、8軒の竪穴住居址のうち4軒が敷石住居であり、この時期千曲川・信濃川流域などで流行していたと云う。

 敷石住居に使われた石は、本遺跡周辺には産出地がないことから、4〜5km遠方から運ばれてきたと見られる。
敷石の中には20kgを超える重い石もあるが、どうして多大な労力を払ってまで床に石を敷くことにこだわったのか、謎は解けていない。

 敷石住居は石囲炉を伴い、中には埋甕が埋められた住居も見つかったと云う。

以下文字列にポインタをおくと、ユーモラスに見える注口土器、耳を模倣した土製品、豪華な装身具などがご覧いただけますよ!

 特別仕立ての堀の内式土器

 目と鼻を持ち開口部を口に見立てた人面注口土器で、真上から見るとあくびをしたようなユーモラスな表情に見える。

 配石墓の墓標の側には耳を模倣したと見られる、全国的にも珍しい耳型土製品が納められていた。

 焼骨入りの土壙に置かれた石下に納められていた、彫刻入り滑石製ペンダント

 同じく土壙に置かれた石を取り除くと、忽然と現れたヒスイ製垂飾

 径2mにも満たない浅い竪穴からは、傑作な土器をわざと壊して石組炉に納めた、被葬者の霊を奉る施設のような掘り込みが見つかった。
掘り込みには堀の内式土器や人面注口土器のほかに、施設の下には焼骨が入った土壙が埋められ、滑石製ペンダントやヒスイ製垂飾が隠されていたと云う。
格別な人物が葬られた墓であり、死者の霊を奉る施設として特別な意味を持った遺構と考えられる。

 更に別の配石墓には生々しい成人の白骨化した遺体が埋葬され、散乱した墓標のよう大石の側には、全国的にも珍しい耳型土製品が納められていたと云う。
耳を模倣したと見られる土製品は副葬品と考えられ、被葬者にどのようなメッセージ・意味を込めたのであろうか?

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