新潟県朝日村奥三面の元屋敷遺跡

 潟県朝日村朝日連峰の谷間に群がる奥三面縄文集落19遺跡は、平成12年ダム建設完了と共に埋もれてしまう運命にある。奥三面遺跡群は、縄文時代の風景が見える遺跡として東日本を代表する貴重な遺跡ですが。

 奥三面山間部のダム建設に伴い、奥三面遺跡群の調査開始から11年が経過、その間調査対象面積は約160千uにも及んだ。
 平成10年12月末で発掘調査を全て終了する予定とのこと。

(柱穴と石ころが目に付く元屋敷遺跡の中段丘全景)

 屋敷遺跡は、奥三面遺跡群の一つで、三面川中流域・標高約200mに位置し、縄文時代後期前半から晩期後半(約3,500〜2,300年前)まで1,000年以上にわたり集落が営まれた。

 遺跡の広がりは、中段丘・下段丘合わせて33,000uにも及び、発掘調査開始直前まで在住村民の田圃であったそうだ。


 以下元屋敷遺跡の特徴・特記事項をハイライトする。

(舗装道路が埋め戻された発掘現場)

 文時代では全国で最も立派な道、段丘崖から湧き出る2つの水源を結ぶ道であり、幅約2m・長さ約40mの道の両側に偏平な石を敷き、その間に砂利を敷いた舗装道路は、全国でも初めての出土例とのこと。

 日常生活・生産活動の利便性を考えてのアイディアではなかったかと思われる。

(遺跡全体の中心部に位置する掘立柱建物群の柱穴)

 立柱建物が24棟も発見、竪穴住居跡19軒に比べて余りにも多い。
石斧生産工房であったのかも知れない!

(遺跡全貌の東南隅に位置する配石遺構・配石墓の一つ)

 石墓(乳幼児以外のお墓)が約100基出土、埋甕(乳幼児のお墓?)が約190基も発見、このアンバランスを如何理解すべきか?

 遺跡全体の発掘調査が終了していないとは言え、当時の短命を物語る証左ではないか?

 以上概覧してきましたように、元屋敷遺跡の中は掘立柱建物の柱穴と砂利道路・配石墓等の石ころでいっぱい、といった感が強い大変珍しい遺跡です。

 特に出土した遺構・遺物からは将に石文化を物語っているように見えて、これほどまでに石と縁があった遺跡も珍しいのではないかと思われる。 

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