約6,000年前頃(縄文時代前期)から気候は暖かくなり、4,000〜5,000年前の縄文時代中期にかけて豊かな自然に恵みが増加していった。 特に縄文時代中期の八ヶ岳山麓は、ナラ・クスギなどの落葉広葉樹の林を伐リ拓いてムラをつくった人々が自然の幸に恵まれて繁栄し、この時期長野県は日本一の人口密集地であったと云われている。 物質的豊かさもあり、全国的にも類例を見ないほど造形美溢れる土器を作るなど、精神的にも豊かな生活を送っていたと思える。 |
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人面付香炉土器は伊那市御殿場遺跡から出土したもので、縄文時代中期(約4,500年前)の土器として高さが31.5cmもある。
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長野市内峯畑遺跡から出土した、蛇体文のついた土器及び口が二つある大変珍しい土器で、縄文時代中期のモノと見られる。
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