中原遺跡は市街地の北部に広がるシラス台地の縁辺部、安楽川の下流右岸で、標高約49mの道路に沿った畑地に所在する縄文後期の遺跡。

 昭和59年に宅地造成整備事業に伴い発掘調査の結果、多量の遺物が検出された。
本遺跡の中心部は台地上にあり、ここから安楽川の支流によって造られた谷の傾斜面に向かって投棄された遺物の堆積地点であった。

遺跡現場T 遺跡現場U

 遺跡は台地の先端に近い西向きの傾斜面にあり、東側の低地には安楽川が流れる良好な環境に立地し、周辺には曲瀬・小瀬などの縄文遺跡のほか、有舌尖頭器が表面採集された旧石器時代の遺跡が存在するなど古くから人々が住み着いていた。

摩消土器群T 摩消土器群U

 津式・福田式など瀬戸内系の摩消土器群で、縄文後期初頭には瀬戸内系の土器文化が盛んに伝播したことを物語っている。
瀬戸内文化との繋がりが本遺跡の最大の特徴と云える。

石錘 石斧

 錘が404個と大量に出土したことも本遺跡の特徴で台地縁辺にあり、海岸との距離は現在で約3km余り、海を漁場としていたと見られる。
中原縄文人は海とのかかわり合いが深く、瀬戸内文化は海路伝播したものと考えられる。

 石錘・石斧のほか、石鏃が500点ほど検出されるなど、南九州では類例を見ないユニークな遺跡と云える。

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