中沢浜貝塚は太平洋に大きく突き出した広田半島先端部付近の大森山山麓に広がる西側斜面にあり、貝塚遺跡の中心は広田湾の現海岸線より250m程東よりの地点で、標高5〜20m辺りに位置する。

本貝塚の発掘調査は明治40・41年に遡り、当時人骨23体が発見されて全国的に注目されるところとなり、大正13年の調査を経て、昭和9年に国史跡に指定された。

甕に埋納された幼児骨・赤色人骨・腕に貝輪を装着した人骨・埋葬犬等々、当時多くの初めての発見が注目を集めたと云う。 本貝塚の貝層は丘陵の周縁に馬蹄形に広がり、縄文早期末・前期前葉・中期後葉・晩期中葉の純貝層と、前期前葉から中葉にかけての魚骨層が確認されている。 貝層の厚さは一部で約5mに達するものも見つかり、イガムラサキインコ・クボガイ・レイシガイなどの岩礁性貝類が多く、魚骨はマグロ類が大半を占める。

中沢浜貝塚 真の通り、本貝塚の前面には広田湾が広がり、三陸沖でぶつかる暖流・寒流によって当時から豊かな漁場が形成されていたと見られる。

周辺の遺跡が時代の推移と共に消長したのに対し、当地は縄文・弥生・平安時代へと長期間存続し、広範囲に広がる貝層を残している。

各種釣針 針には釣針の内側と外側にカギが付いた形状や、軸頂部にコブの付いた形状のモノ、錨形をしたモノなど機能的に工夫が凝らされている。

又同じような形状が二つとないほど個性豊かで、本格的漁労活動を偲ばせるに十分と云える。

各種骨角漁器 各種骨角漁器

 リには三角形のモノ・燕形離れモリ・南境型離れモリなどの種類や、ヤスにも組合せヤス・組合せヤスの先端返し型など多種専門に分かれ、骨製ヘラや漁具受入用ソケットまでに及び、磯捕り漁・刺突漁などに使われ、機能的には現在の漁具とほとんど変わらないと云う。

 “燕形離れモリ”は、現在使われているカジキマグロ漁のモリに酷似していると云う。

骨角牙歯器 メの歯根の両端に穿孔した装身具、ツキノワグマの犬歯に装飾的な刻線を施したモノ、オオカミの奥歯に穿孔したモノなど当時の繊細な加工技術と優れた創造力・こだわりは驚嘆に値する。

気仙地方の生活文化・精神文化の高さを象徴していると云える。

骨角祭祀具 国的にも珍しい軍配形角器、ヘラ状の骨角器・鹿角の奇形加工品など孔と線によって文様を施している。

用途不明ながら、何らかの祭祀・儀式用具と考えられる。

 成9年の宅地改築に伴う発掘調査では縄文早期末の20歳前後の女性人骨が検出され、副葬品として中央に孔の開いた径約1cmの琥珀玉3点が見つかり、文化度の高さには唯々驚嘆させられる。

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