野口遺跡は筑後川中流域に所在し、筑後川の氾濫によって形成された自然堤防の微高地上・標高10m前後に立地する、旧石器・縄文時代を通じて営まれた大集落遺跡。

 筑後川左岸の自然堤防上には弥生時代にかけて幾つかの遺跡が発見されており、温暖な気候・豊かな水・肥沃な土地を活かした、日常生活舞台として、旧石器時代から綿々と受け継がれてきたと云える。

 昭和53年以来、6回にわたる発掘調査の結果、旧石器時代の石器、縄文前期・中期・後期の遺構・遺物のほか中世から江戸時代にかけて層序的に遺構・遺物が検出された。

 特に縄文前期の遺構では、竪穴状遺構65基・石器群集中遺構8基などが出土している。
縄文遺跡としては、九州地方では屈指の大集落として知られている。 

遺跡現場T 遺跡現場U

 後地方の北西部・北部九州のほぼ中央部にあたる久留米地方は、旧石器時代から特色ある豊かな地域文化を形成していた。

 一方当野口集落は、南は高良山を控え、北側は筑後川まで約800mの至近距離にあり、畑地が拡がる付近一帯は水害の常習地帯であった云われる。

 しかし脅威の筑後川沿いの微高地は、四季の変化に合わせた食糧確保を可能にしたと見られる。

(野口式深鉢土器)
帯文と弧線文を組み合わせた斬新なデザインは、九州を代表する特色ある、縄文前期の土器文化として全国的に知られている。
文様は全て胴部上半に限られ、下半は無紋帯で深鉢形が多いと云う。
野口式土器が数多くまとまって出土し、当時九州地方に広く流行した点は特筆に価すると共に、九州の縄文土器編年の再検討に貢献した歴史的意義は高い。

原石 石器類T 磨製石斧

 曜石とサヌカイト原石及びいろいろな石器。
旧石器時代の石器片が7点検出されているが、黒曜石とサヌカイトの石材が使用されている。

 石鏃・石槍・石匙・スクレーパー・磨製石斧など石器類は、3000点以上の膨大な量に及ぶ。
佐賀県伊万里の漆黒色の黒曜石、佐賀県多久市のサヌカイトが多く使われていると云う。

 石器群集中遺構は、磨製石斧・叩石などが意識的にまとめて置かれた状態で検出されたが、石器製作工房ではなく、意図的に置かれたもので、置き忘れたのか、当時の生活面の一端が垣間見える。

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