仙台湾

から北へ松島近郊に湾入する沿岸から、更に石巻湾岸にかけては、全国屈指の貝塚密集地帯として知られている。
石巻市には大小合わせて26ヶ所の貝塚が確認されている。

 縄文時代の石巻市は大部分が海の底にあり、その後北上川などの沖積作用により内陸化し、現在では旧北上川の河口に位置する、宮城県北東部地域を代表する風光明媚な都市として知られる。

 沼津貝塚は石巻市の北東、北上川の支流・真野川東岸の低地奥部に位置し、小島のように水田に浮かぶ丘陵に立地する。

 本貝塚は、江戸時代に既に確認され、明治時代以降学術的な発掘調査が数多く実施された結果、縄文前期から晩期に及ぶ土器群・石器・骨角器・食料残滓などが発見され、更に弥生・古墳から奈良・平安時代に及ぶ長期間にわたり形成された複合大遺跡であることが判明した。

 貝層は縄文中期後半から形成され始め、後期初頭まではハマグリが多く、それ以降晩期前半にかけてはアサリが多くなり、弥生時代にかけてはヤマトシジミが主体となった。
というように貝類の主体が海水産から汽水産のヤマトシジミに変化したことは、いわゆる“縄文海退”が進行していった自然環境変遷を物語っている。

貝塚遺跡現場 遺跡現場遠景 周辺環境

 跡全体の面積は、東西約220m・南北約160mに及び、大規模な貝層は周囲南北の斜面に広く分布し、包含層の一部は北側では水田近くまで延びている。

 本貝塚から発掘された、様々な種類の漁労具・装身具などの加工品は多量の上、美術的にも優れた秀品として、1963年に骨角器類が一括して“国の重要文化財”に指定された。

 又1972年には縄文前期から晩期までの重要な遺物が出土していることから、今後の研究に不可欠な貝塚として、“国の史跡”に指定された。

以下文字列にポインタをおくと、いろいろな種類の骨角器製品をご覧いただけますよ!

 先ずは、釣針・銛などの漁労具のうち、燕尾型離頭銛

 同じく燕尾型離頭銛

 対象の魚類捕獲に適した、いろいろな形態の離頭銛

 鹿角製針用具

 更にもう一つの鹿角製針用具

 貝塚出土品のうち、骨角器はその種類・量及び精巧さにおいて類例を見ない。
釣針・銛などの漁具は、漁労活動を知る上で貴重な資料であり、又彩色が施された装身具も見られる。

 漁具と共に出土した魚骨には、マグロ・スズキ・ニシン・クロダイ・マダイ・サバ・ヒラメなどが挙げられる。

次に縄文中期を中心とした土器類を紹介する。
それでは順番に深鉢形土器2点、浅鉢形土器2点、うち一つは台付、そして最後に注口部分が欠落している注口土器をご覧下さい。

 上のような土器群文様の特徴としては、下に垂れ下がる懸垂文、太い隆線で文様が描かれている点が注目される。

浄連寺本堂 浄連寺山門

 ”沼津貝塚”命名の逸話として、本貝塚所在の集落内にある、浄蓮寺の開祖である“沼津三郎佐衛門”が、駿河国沼津から移住したことから、開祖の姓に因んだとされる。

   沼津貝塚の特徴の一つとして、海水産貝類が堆積している地点と、シジミなど淡水産貝類のみが堆積する場所が分かれ、海水の入江であった時代から、海と絶縁して、淡水の沼地となり、淡水産の貝類が生存するようになるという、本漁村の歴史的変遷が見て取れる。

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