小川原遺跡

は犬上川流域の扇状地に広がる、多様な生活様式を有した縄文後期遺跡。

 乾燥した広大な場所である扇央部を有効に使い、東日本で流行した配石墓・配石遺構・平地住居などの遺構が、7,000u以上にも及ぶ広い範囲で出土し、この時期の犬上川流域の中心的集落と見られる。

 東西文化の融合を象徴する配石墓・配石遺構を伴う本遺跡の存続期間は短く、縄文後期後半になると活動の拠点は犬上川上流に移して行った。

(遺跡現場)
上川が山の間をぬって開けた扇状地で、犬上川のすぐ南に位置する、現状田んぼ地帯。

鈴鹿山脈の鈴ヶ岳を源に流れる犬上川流域には、縄文前期以降数多くの遺跡が発掘されており、出土遺物・遺構から瀬戸内から東海地方や東北地方との文化的交流が窺い知れる。

(円形配石遺構)
真のような石を立てた配石遺構から、単に石を集めたモノ、人頭大の石を直径1mほどの円形に並べ、円の中心に向けて細長い石を配置するモノ、円形の中に石を詰めたモノ、石に火を受けた痕跡が認められるモノなど多種多様に及ぶ。
これらの配石遺構の下に墓穴は見つかっていないが、墓に関連する祖先崇拝などの祭祀に使われたと考えられている。

ハート形土偶 土器片

 ート形土偶は縄文後期前葉のモノで、東日本の日本海側に分布し、東海地方では出土例がないことから、当地は日本海流域との交流関係が強かったと云える。
このハート形土偶は日本列島における出土の最西端であることが判明。

 更に写真のような繊細な幾何学的デザインを施した土器の他に、漆塗り装飾品・石棒・石刀・石剣などの石製品、植物を利用した編物なども検出されており、当時の文化度の高さが偲ばれる。

 これら配石遺構や精神文化を象徴する遺物は、自然現象の脅威に対する厚い信仰心を物語るものであり、大自然と共存する祈りを具現化していると云える。

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