縄本島中南部の東西両海岸線沿いに造り上げられた琉球石灰岩丘陵帯に沿って、貝塚を中心とした縄文遺跡が点在、若しくは場所によっては密集している。

 以下本島の代表的縄文遺跡を紹介する。

仲泊遺跡
 島恩納村に所在する、標高20〜30mの琉球石灰岩丘陵東側崖下に形成された遺跡群。

国指定史跡の仲泊遺跡

 跡内には4つの貝塚があり、仲泊式土器標式として知られていると云う。

第四貝塚現場

 の貝塚からは、沖縄貝塚時代前期(約3,500〜2,500年前)の岩陰礫床住居址が発見されている。

荻堂貝塚
 島北中城村の石灰岩丘陵崖下に形成された沖縄貝塚時代前期の遺跡。

国指定史跡の荻堂貝塚

 貝塚からは土器・石器・貝製品・骨器などが大量に検出されていると云う。

荻堂式土器

 縁部に4つの小型突起を持つ平底器形で、口頚部・口唇部に数種の文様で飾っている。
 ローカル色豊かな土器として注目に値する。

野国貝塚
 島中部嘉手納町、国道58号線に沿った標高3〜5mの海岸丘陵上に立地する。

 食糧残滓の獣骨の中に、イノシシの骨が径約2m・深さ50cmの凹地より一括して検出されたことで注目されたと云う。

中層出土の爪形文土器

 形文以外には条痕文土器や、無文の尖底土器等も発見されている。

刃部が磨製された石斧

 真左側の石斧は、その大きさとシャープな刃部から、農耕用というより樹木伐採用に使用されたと見られる。

古我地原貝塚
 島中部石川市の中央部に所在する、琉球石灰岩丘陵台地上並びにその崖下に形成された遺跡。

 当貝塚から検出された「面縄前庭土器」はじめ、ユニークな出土遺物を以下紹介する。

 ユニークな土器に続いて、復元された最終の姿が分からない異形土器、何の目的で使われたか不明の巨大打製石斧、貝製品を真似たのか石製アクセサリー、以上の順番で紹介する。

渡具知東原遺跡
 島読谷村最南端の比謝川河口にあり、標高2〜3mの海岸底砂丘地に立地している。

 沖縄県で初めて九州縄文時代前期を代表する土器が発見されたことで注目されたと云う。

爪形文土器

 調査層下層に当る砂礫層・粘土混じりの礫層から出土し、渡具地東原式と呼ばれている。

打製石斧

 泥片岩製の打製石斧で、樹木伐採用として使われたと見られる。

渡具知木綿原貝塚
 谷村と嘉手納町を境する比謝川河口にあり、木綿原海岸の砂丘地に立地する。

箱式石棺墓出土の人骨

 7基の石棺墓から12体の人骨が確認されたが、4体は埋葬施設を有せず全てが女性、残り8体の内訳は箱式石棺墓を伴う男性6体・女性2体であったと云う。
男女の扱い方が異なるように見える。

 男尊女卑の思想が存在していたのではないか?

箱式石棺墓出土の人骨

 DNA鑑定により、当地にまで渡来人が渡ってきたかどうかを立証してみてはどうか?

 渡来系人が混じっているかどうか遡及できるのではないかと考えられ、大変興味深い。

 出土品の中に弥生時代前期の遠賀川式土器が発見され、九州地方とのかかわりを物語るもので、箱式石棺墓との関連でも注目されている。

 以上沖縄本島中南部の代表的遺跡を紹介したが、残念ながら遺構など既に破壊されている部分が多く、各々の遺跡の内容は断片的で、全貌を解明するまでに至っていない。

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