縄の先史時代区分は、旧石器時代が紀元前30,000〜20,000年、20,000〜5,000年は現在のところ遺跡は未発見のため空白期間となっている。

 紀元前5,000〜紀元後1,000年ぐらいまでを貝塚時代と呼び、特異な土地柄もあり貝塚時代は本土より長く続いている。

 又貝塚時代を早期・前期・中期・後期と分類し、中期頃までが本土の縄文時代に属し、後期は弥生・古墳時代等に帰属する。

 現在沖縄本島の中心であり、且つ遺跡の宝庫である本島中南部における貝塚時代の立地は、早期が海岸低砂丘地に、前期は標高40〜80mの琉球石灰岩丘の崖下に、中期になると台地上に移動し、そして後期になると再び海岸砂丘に降りて住んだという変遷が一般的に理解されている。

 沖縄諸島全体の遺跡数は6,000余りに及ぶほど多数にのぼる。

 沖縄諸島は珊瑚礁に取り囲まれ、特に遺跡が集中する地域の前面には裾礁の発達が著しく、遠浅な海辺を最大限利用した漁労を中心に、海での生活に依存していたと理解できる。

 特に貝塚時代が6,000年も続いたことが物語るように、沖縄諸島の遺跡群は海産物を除いては語れないほど「貝」とのかかわりが深い。

 貝類の中でも、クモガイ・スイジガイ・ゴホウラガイ・シャコガイ・イモガイ・ヤコウガイ・ホラガイ・オオベツコガイ等々が数多く出土している。

 以下沖縄先史人の「貝」とのかかわりを写真で紹介する。

文字列にポインタをおくと、いろいろな珍しい貝類に出会えますよ!

 漁労具として使われたシャコガイ製錘が数多く出土している。裾礁に囲まれた海辺での漁労には釣針・銛ではなく、貝製錘が適していたと見られ、釣針・銛の出土は極めて稀であると云う。

 生活必需品として活用されていた貝製用具のうち、沖縄特有のモノとしてホラガイ製湯沸し器

 同じく生活利器としてのヤコウガイ製匙。伊江村の具志原貝塚から出土している。

 同じく生活利器としてスイジガイ製のノミ状用具。ノミのように突付く道具として使ったと見られる。沖縄市の安座間原遺跡から出土している。

 同じく生活利器としてヤコウガイのフタを利用した貝刀。シャープなフタ先でモノを切る用具として利用したと見られる。沖縄市の安座間原遺跡から出土している。

 魔除け・アクセサリー用として装着した貝製品、或いは副葬品として使われた貝製品の数々。同じく沖縄市の安座間原遺跡から出土している。

 対外交易品として大量生産されたと見られるゴウウラガイ製腕輪製作工程。腕輪類には半完成品・未製品の出土量が多いのは、完成品腕輪は交易品として移出されたと考えられている。交易相手での出土遺物から奄美大島をはじめ、九州・北陸・朝鮮半島等との交易が窺えると云う。

 魔除けのお守りとして装着したと考えられる貝札。読谷村の縄文遺跡から出土している。

 同じく魔除けとして住居出入り口に吊るしていたと考えられるクモガイ製お守り。読谷村の縄文遺跡から出土している。

 アクセサリーとして使われたいろいろな貝製品のうちカンザシ。沖縄市の安座間原遺跡から出土している。

 副葬品として埋葬された貝製小玉類。石川市の古我地原貝塚から出土している。

 上見てきたように縄文人のルーツの一つである沖縄諸島には、独特な出土遺物に象徴される沖縄特異な生活文化・慣習等があったと思われる。

 先の世界大戦の大被害地であり、且つ戦後の米軍基地建設も加わって、破壊された遺跡・文化遺産は数知れないと云われている。

 誠に残念ながら沖縄諸島の先史は、謎に包まれたまま迷宮入りに終わるかも知れない

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