大平山元遺跡

は津軽半島中ほどの蟹田町西外れに所在し、旧石器時代(約16,000年前)から縄文草創期(約13,000年前)にかけての遺跡。

 昭和46年に発見された一本の磨製石斧がきっかけとなり、発掘調査の結果、旧石器時代末期の特徴的な磨製石斧と同じ包含層から土器片が検出された。
土器を伴わない段階と見られていた、旧石器末期に土器が発見されたことから“歴史的事件”として大いに注目された。

遺跡現場T 同そのU

 平山元T遺跡は私有畑地にあり、文様の全くない親指大の土器片が30点ほど検出され、他方大平山元U遺跡は八幡宮境内にあり、地層・石器形態から約16,000年前のモノと見られる数多くの石器類のほか、石で囲った炉跡・焼け石なども見つかっている。

 これらの発見は東北縄文文化の幕明けを物語る一大発見として脚光を浴びた。

次に大平山元U遺跡から出土した旧石器時代の石器類を、いろいろな石器群・槍先形尖頭器・削器・石刃・両面調整石器の順番で以外紹介する。

れらの石器類は大平山元U遺跡から出土した旧石器時代のもので、遺跡現場付近から採取できる頁岩製で、今日でも境内の地表面から当時の石器片が顔を出していると云う。
石器工房跡かもしれない。

 当時の人々の生活痕跡が窺い知れる。

石器・土器片 無文土器片

 平山元T遺跡から出土した土器細片は、無文で隅丸形の平たい底部を持つ鉢形土器と見られ、これまで日本列島各地に分布していた、口縁部に「隆起線文」を持つ縄文草創期の土器とは異なる。

 むしろ縄文草創期の隆起線文付土器に先行する祖源的土器と見られ、同一地層から出土した石器と見合う旧石器時代末期の土器と考えられる。
日本最古段階の土器と考えられ、樺太・北海道経由の北方ルートを辿り、遠くシベリアに土器起源を求める可能性を示すものとも云えるが、未だ大陸側には1万年以上古い土器の発見例がないと云う。

 いずれにしても津軽半島には縄文文化黎明期を受け入れる文明力が十分備わっていたことを意味する、極めて貴重な発見であった。

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