船C遺跡は南茅部町の中心から8kmほど北西を流れる大船川の左岸に位置し、背後には栗の木山や湧水、前面には海産資源の豊富な噴火湾が拡がるなど、集落を維持するのに必要な自然環境に恵まれている。

 町営の墓地造成に先駆けて発掘調査が実施されたが、縄文前期末から中期終焉まで約1,000年間続いた大規模集落跡であることが判明した。

 平成8年以降断続的に発掘調査が実施され、現在も継続されているが、遺跡全体の拡がりは7万uほどにも及ぶと見られ、今後は山側に向けて更なる発掘調査が進められると云う。

 今日までの調査で竪穴住居址110軒・フラスコ状ピット64ヶ所・盛土遺構などの遺構が見つかっているが、今後とも近くに湧水があることで水場遺構のほか墓域などの検出が想定される。
平成13年に“大船遺跡”として国の史跡に指定された。

発掘現場 大型住居 船形住居

般的な竪穴住居は長さ4〜5m・深さ0.5mほどの大きさに対し、当遺跡では長さ8〜11m・深さ2.0m以上の大型住居が10数軒検出されている。
防寒対策と共に食糧の備蓄スペースを必要としたと考えられる。

 平面が円形・楕円形住居と共に写真のように船形住居も見つかっている。
最終的には住居址が1,000軒を超える大集落が推定され、同時代の“三内丸山遺跡”に匹敵する縄文遺跡として注目されている。

水場遺構

 時の廃棄場所と考えられる盛土遺構は食文化を知る上で貴重な動植物の痕跡の他、大量の生活用具を含む“タイムカプセル”として期待されているが、現状では未調査のまま保存されている。
雪・霜による崩落を防ぐため一端埋め戻したと云う。

円筒形土器 注口土器 把手付土器

型住居は埋甕炉を伴うが、多いものでは一軒で新旧合わせて14個もの埋甕が確認されている。

 これらの土器は大安在B式土器ほか道南に拡がる土器で、津軽海峡を挟んだ東北北部と共通する点が多いことから密接に交流していたことが窺える。

ヒスイ製首飾

 潟糸魚川産のヒスイのほか、秋田産のアスファルトなどが多量に出土していることからも、東北北部と道南地域文化を繋げる中心的役割を果たしていたと推測される。

以下大船C遺跡から出土した非日常・日常の石器・土製品類の一部を紹介する。

 順番にナイフ形石器・青竜刀形石器・石棒と石刀・磨製石器、そしてスタンプ形土製品・最後に土偶と岩偶の順に紹介する。

 常・非日常石器共精巧な仕上がりが際立っている。
日常的石器の用途としては、クジラ・オットセイなどの海獣骨が大量に出土していることから大型で切れ味の良い解体用具を必要としたと見られる。

 発掘調査面積が10%にも満たない現時点では集落の精神文化を含む全体像が見えないが、今までの調査結果に見る高度な物質文化レベルは、今後信仰・祭祀など精神文化面でも驚くべき新発見を予告していると云える。

珪藻土

藻土は盛土遺構から検出された。
珪藻の堆積物としてかたまって見つかったと云うが、着火用・着火後の火持ち用か或いは網漁で集魚用餌として使ったのかなど使途は不明。

物質・生活文化の高さは驚嘆の一言に尽きる。
アスファルト・珪藻土の発見は、専門技術集団の存在を示唆する。
学術的にも貴重な資料であり、今後の継続的発掘調査の行方に注目が集まる。

 国指定史跡として永久保存されることが決まったことから、近隣の土地買収・更なる発掘調査・遺跡の保存整備事業などが本格化すると見られるが、今後の動向に目が離せない。

今回もご覧いただきありがとうございます。ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。又のご来訪をお待ち申し上げます!