畑遺跡は1970から72年にかけて発掘調査され、縄文時代中期から後期にわたる約3mの貝殻の堆積が確認され、土器・石器・骨角器・埋葬人骨・埋葬犬・竪穴住居跡・貯蔵穴などの貴重な遺構・遺物が発見された。

 小名浜湾をめぐる低位段丘には当貝塚の他、綱取貝塚・薄磯貝塚・寺脇貝塚などが点在している。

現在の大畑貝塚風景

 貝塚は記念公園として保存されており、小名浜湾を西から見下ろす景勝地に立地している。

 当貝塚からは石鏃・石槍など狩猟具が出土しているが、漁労用具は狩猟用具の約2倍も検出されている。
用具と捕獲食料との割合に符合していると云う。

 貝塚は干満の差が小さい日本側には少なく、遠浅の干潟が見られる太平洋沿岸に多く、特に湾が内陸深く入り込んだ汽水域の近くに貝塚が目立つと云う。

大畑貝塚から出土した貝類

 貝47種・二枚貝26種から成り、縄文中期後半の貝層は外湾岩礁性・内湾砂泥性・干湾河口性の環境により特徴付けられ、外海・内海・汽水と三様の安定した環境を最大限活かした大畑縄文人の知恵を窺い知ることが出来る。

 当貝塚をはじめいわき市内の貝塚から出土した縄文中期〜後期の土器群は、東北南部に分布圏を持つ大木式土器と関東地方に顕著に見られる土器群が混在している。

しかし意匠紋を分析すると東北系よりも関東系土器が多く、文化的交流は北より南に向けられていたことが分かる。

土器の文様は角押紋・渦巻紋・貼付紋などで、器種は平底の深鉢が多い。

大畑貝塚から出土した土器群は大木8a・8b式がほとんどであると云う。

以下文字列にポインタをおくと、典型的大木土器に出会えますよ!

 口縁部に4つの波状突起が付き、頸部に横位波状沈線文が描かれた円筒式深鉢土器。

 渦巻文と懸垂文により装飾された深鉢土器。

 口縁部は大胆な波状突起を有し、2単位文様により区画され、渦巻文が点描押型文によりアクセントが付けられた深鉢土器。

 波状文や渦巻文が描かれた注口土器。

 貝塚をはじめいわき市内の貝塚からは共通した大変珍しい発見がある。

鹿角製組合せ釣針

 塚に堆積した骨類からカツオ漁が盛んに行われていたことが分かる。

 鹿角製U字形釣針はカツオなど大型魚を釣り上げる際、魚の口に引っかかる部分で折れてしまったと見られる。

 そこで軸の部分と針の部分を分けて作って、2つを組合わせることによりバネの役割を果たし、魚の重量・抵抗力に耐え得たと見られ、いわき縄文人の創意工夫力は驚嘆に値する。

 この組合わせ釣針はいわき地方のみにしか検出されていないと云う。

大畑貝塚の巨大石棒

 畑貝塚の20uほどの範囲には鹿角製釣針などの小物遺物と共に、男性器を象徴した石棒と直径30cmにも達する巨大アワビが72点も一面に配された祭祀遺構が、貝塚の最下層から発見されたと云う。

 アワビに象徴される女性と石棒の男性との生殖関係を通して、豊漁・豊猟・子孫繁栄が祈願されたと考えられる。

 この現象にも貝塚は単なるゴミ捨て場でなく、縄文人の「聖なる信仰の場」でもあったことを物語っている。

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