西

宮宮崎遺跡は高知県西部の四万十川支流、目黒川の河岸段丘上に立地している。

 平成8年圃場整備工事中に多量の縄文土器が発見され、急遽発掘調査したところ縄文時代後期の土器・石器が確認され、又配石遺構も見つかり、とりわけ極めて珍しい線刻礫が検出されて一躍脚光を浴びた。

遺跡発掘現場発掘現場遠景

 前に見えるのが目黒川で、水辺にかかわる祭祀用の配石遺構かも知れない。

 配石遺構は19基見つかり、円形に石を配するモノ、不定形に石を配置しているモノ等1〜2mほどの小規模な配石が密集していたと云う。

 配石内からは縄文後期中葉の土器や大型の剥片石器類が多量に出土し、意図的にこの場所に廃棄或いは供えられたと見られる。

線刻礫

 平な楕円形の砂岩製で片面だけに「ビーナス」の線刻が施されている。

 表現はハッキリしないが直径0.3cmほどの小穴が開けられ、女性器か又はヘソを表わしているのか解釈が分かれる。

 垂下する数条の線はスカート状の着衣のヒダかもしれないと云う。
とすると女性の下半身を表現したと考えられる。

石棒

 文時代後期のモノと見られ、ビーナス線刻礫と考え合わせると子孫繁栄・再生を祈願した祭祀用に使われたと見られる。

 当遺跡に近い愛媛県広見町の岩谷遺跡からもより大きな配石遺構が見つかっており、当地方共通の悩みとして人手不足が深刻で、子孫誕生を切望していたかも知れない。

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