浜1遺跡は道南部の噴火湾に面した標高22〜50mの海岸砂丘上にあり、推定面積約10万uに及ぶ縄文前期末葉から中期を主体とする集落遺跡として知られている。

 駐車場建設などに伴うこれまでの発掘調査は約8,000uに過ぎないが、それでも住居址203軒・墓や貯蔵穴である土壙502基・集石17ヶ所・配石遺構22基に及んでいる。
出土遺物は土器類42万点・石器類5.7万点など膨大な量に及ぶ。

栄浜遺跡入口 栄浜遺跡現場

 雲町から国道沿いに当遺跡の目印として“家型石製品”を模したオブジェが見える。ここが当遺跡への入口に当る。

 この入口の背後には現在でも高速道路建設に伴い、約2万uが発掘調査中の当遺跡現場が所在する。

栄浜住居模型 栄浜住居裏側

 土したミニチュア“家型石製品”は駒ケ岳の噴火による軽石製で、長さ14.9cm・幅11.3cm・高さ13.8cmの“入り母屋造りの屋根”の平屋建物。
一緒に出土した土器編年から約4,600年前の遺物と見られている。

 屋根上部・下部の間が浅い溝で仕切られ、屋根と壁を区別した入り母屋造りで、約60度傾斜した茅葺屋根の農家のように見える。
又屋根の前後が突出しており、煙出しに見える。

従来の竪穴住居には壁がなく、屋根が地面につく“伏屋式”と考えられてきた常識を覆す画期的発見と云える。
従来の伏屋式住居は冬用、今回の入り母屋造り住居は夏用と住居を使い分けていたのかも知れない。

入り母屋造りの屋根が縄文時代まで遡ると考えられる具体的模型での出土例は、今回が全国で初めてと云う。

出土した場所は土器・石器・土偶などの廃棄場であり、“家型石製品”の一部が破損していることからも、土偶と同じように一部を壊す祭祀に用いられたと推定されている。

 どのような目的で家の模型が作られたのかは不明だが、この模型は縄文時代の住居構造を具体的に知る貴重な資料として注目を集めている。
当遺跡は道南部の代表的集落の一つであり、時代的にも青森県の三内丸山遺跡と同一文化圏に属するだけにその波紋は大きい。

入り母屋造りの“家型石製品”に注目が集まっている中で、隠れた異色的存在として以下3点の石製品・石器を取り上げ紹介する。

 青竜刀型石製品と使い古した青竜刀型石製品、それから偏平打製石器を順番に紹介する。

 竜刀型石器は東北北部地方でも検出されているが、何らかの祭祀目的に使われたと見られている。

 一方偏平打製石器は歯部分に使い込まれた打痕が残っていることから、堅果類を潰すために使用されたと見られている。

 又出土した土壙の中から人骨が石鏃と一緒に見つかり、この石鏃は人に刺さっていたものと考えられている。

 発掘調査が継続しているだけに、今後の更なる新発見に寄せる期待は大きい。

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