王囲遺跡は縄文時代晩期(約2,800年前)、弥生、古墳から8世紀頃までに断続的に営まれた集落跡。
迫川と長崎川に挟まれた東西240mと南北180mほどの広がりを持つ、標高約38mの自然堤防上に位置している。

 約33,000u余りに及ぶ微高地には各時代の住居跡などの遺構が数多く残されている。

 周囲には厚い泥炭層が形成され、多くの貴重な遺物が発見され、中でも優れた漆塗りの藍胎漆器・編布が全国的にも注目を集めていると云う。
昭和46年に国の史跡に指定された。

 又弥生時代前期の竪穴住居跡や大規模な溝跡なども発見され、東北地方では他に類を見ない規模の弥生集落があったと見られる。

遺跡現場

 在は遺跡公園として整備されつつある。

 史跡整備の一環として平成7年より発掘調査が再開され、平成11年第5次調査で完了した。

 再調査するに当たっては、重なっている下位層の遺構を把握するため、レーダー探査・音波探査やプラントオパールの分析など理化学的分析を導入することで遺跡の全容解明を進めている。

縄文晩期の編布断片縄文晩期の編布拡大写真

 布は全国で10ヶ所ほどでしか見つかっておらず極めて貴重な資料。
織物ではなく編んだ布であることが分かり、中部地方に伝わる伝統工芸”編布”(あんぎん)と同じ編み方である云われる。

 植物の繊維を右撚りにした糸を2本合わせて左撚りにした約1mmの太さの糸で編まれている。
当時の衣服についての重要な手がかりになると考えられる。

 このように編布は植物の繊維で作った糸で編まれており、余程の条件に恵まれない限り後世に残らない貴重な遺物。

漆塗り櫛

 にも漆塗りのカゴ・赤と黒で文様を描いた藍胎漆器・腕輪・弓など多くの漆製品が出土している。

 漆製品は耐久性に優れていると云われ、実用と奢侈を兼ね備えた一迫縄文人の贅沢な嗜みと云える。

 遺跡を特徴付ける遺物として土製品に注目したい。
 以下代表的な土製品をハイライトする。

文字列にポインタをおくと、珍しい土製品に出会えますよ!

 この土偶は縄文時代晩期の結髪土偶で、土偶の眉に当たる部分には刻みが施されている。頭頂部には小さな孔が貫通していると云う。

 異形土製品は写真上部は土器の断片か?下部はペンダントとして使われていたものかも知れない。

 土製の耳飾りは片側が八角形をしており、沈線で円文が描かれ、表面には朱が残っている。一方土製小玉にはくびれがあり、穿孔が施され朱も残っている。

 スタンプ状土製品は全体が撫でて調整され、一部に指紋が見られる! 大変珍しい発見である。下部の土製品には5本の沈線が片面と側面に施されており、装飾品の一種と見られる。

上のように土製品からも当時の生活様式の一端が窺える。

平成11年の発掘調査では縄文時代の住居域が2ヶ所に分かれていたことが判明。

河道の西側に広がる自然堤防に縄文晩期後半の包含層が形成せれており、東西のムラが併存していたと見られる。

昨年度の発掘調査の整理が進むにつれて、今後も新しい発見が続出することに期待したい。

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