里木貝塚は大正10年の発掘調査以来再三にわたる発掘調査の結果、縄文前期から晩期にかけての貝塚遺跡であることが判明した。
この付近一帯は当時既に海が入り込んだ、海岸の砂州であったと云う。
この辺りは海に突き出した岬として縄文前期から開け、里木縄文人が住み着いたと見られる。
又この周辺は魚介類が豊富な遠浅の海となり、北の山丘は木々が茂り、木の実やシカ・イノシシなどの動物にも恵まれていたと見られる。
本貝塚のある船穂町を取り囲んでいる現在の倉敷市地域には、同じような自然環境・条件の場所が多く、東西及び南側へ続く数多くの縄文貝塚が見つかっている。

 本貝塚からは“里木式土器”と呼ばれる貴重な標識型式土器をはじめ、屈折葬及び伸展葬の人骨20体・ガラス細工のような緑褐色の耳飾り・貝製腕輪・鹿角製腰飾・骨製ペンダント・鹿角製ペンダントなど数多くの装身具などが人骨と共に発見された。

里木貝塚 同そのU

 真左は里木神社の入口に当り、ここから丘陵が延び上がり、写真右側にはブドウ作りの温室一帯が広がり、この辺りが里木集落跡と見られている。

 本貝塚は発掘調査後埋め戻され、未だ多くの埋蔵文化財が温室下に眠っていると云う。

里木式土器 の里木T式土器は縄文前期の型式土器で、平底の深鉢土器の口縁部を外ふくらみに広げ、器壁は薄く、全面に縄文を付けている。
器胴には細い粘土紐を縦横に十数条張り付け、その上を半截した細い竹管状の工具を使って押し引きして形状を整えている。
器壁の内面に凹凸が見られ、爪の痕がついた土器も見られる。

里木式土器
 木U式は中国地方の縄文中期後半を代表する土器型式で、関東地方の加曾利E式に対応する。

 地文は棒に縄を巻きつけて回転させた撚糸文を原則にしている。
又特殊な撚りを示す縄文・撚糸文・条線文・条痕文が見られ、縄文は一条置きに深く押されている。
半截竹管による弧線文などは船元式と共通する。

 里木U式土器に見られる渦文は東北地方の文様で、加曾利E式と合わせて、関東・東北地方との地域間交流が相当の規模で進んでいたことを物がっている。

次に人骨と共に出土した身体装身具のうち、石製ペンダント、鹿角製ペンダント2点、、貝輪、鹿角製腰飾そして骨製装身具の順番で以下紹介する。

敷考古館が本貝塚を発掘調査した際、20体の人骨が発見され、人骨と共に貝輪の腕飾りをした人達、鹿角製ペンダントなどの装身具を胸に載せた人骨などが検出されたと云う。

 本貝塚からはシカ・イノシシなどの獣骨が数多く見つかっていることからも、獣骨製装身具として加工・利用した先人の知恵が偲ばれる。

 又これだけの精巧な細工を施した、格別な装身具の存在は、里木集落内の身分格差を裏付ける証左として興味深い。

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