里田原(さとたばる)遺跡は町内の国道沿線にあり、”田原”と呼ばれる約40HAの水田地帯に所在する。

 昭和47年に発見されて以降これまでに49次に及ぶ発掘調査が繰り返され、水門・どんぐりの貯蔵穴・墓・住居址などの遺構が検出され、又大量に出土した木製品は600点余りに及び注目を集めた。
水田下の湧水のお陰で、弥生中期を中心とした木製品がそのままの形で数多く出土した。

 木製品製作用工具や未完成品が多く含まれていたことから、“木工職人のムラ”と見られ、又朝鮮製青銅鏡の発見で、大陸との交易も窺い知れる。

遺跡現場 遺跡現場U

真左は支石墓が見える里田原遺跡現場。
“歴史民俗資料館”の北側に広がる田畑一帯が集落跡で、造成工事中の現場で偶然土器が発見されたのが、壱岐の原の辻遺跡と並ぶ弥生集落発掘のきっかけとなったと云う。
“支石墓”が見えるが、当遺跡に残存している3基の一つで、弥生前期の墓であり、主に九州の北西部に分布している。

 墓域からは支石墓のほか、土坑墓・石棺墓・甕棺墓などが確認され、又ガラス玉・碧玉製管玉・鉄剣・刀子・銅釧などの副葬品も検出され、里田原の首長者層の存在が窺える。

農工具・日常生活用具・祭祀用具など大量に出土した木製品のうち、ここでは祭祀用木製品及び祭政の首長の存在を思わせるような木製品を紹介する。
食物を盛るための恭敬具3点、漆塗り祭器、剣の柄とつか飾り、そして男根状木製品の順に以下紹介する。

 れらの木製品は祭政の祭器として使われた用具のほか、祭政の首長の存在と階級社会の成立を示す資料として注目される。

 アジア大陸に近いという地理的環境から、稲作文化・社会の成立と展開過程を探る貴重な発見と云える。

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