長 崎 県 田 平 町 の 里 田 原 遺 跡
写真左は支石墓が見える里田原遺跡現場。 “歴史民俗資料館”の北側に広がる田畑一帯が集落跡で、造成工事中の現場で偶然土器が発見されたのが、壱岐の原の辻遺跡と並ぶ弥生集落発掘のきっかけとなったと云う。 “支石墓”が見えるが、当遺跡に残存している3基の一つで、弥生前期の墓であり、主に九州の北西部に分布している。 墓域からは支石墓のほか、土坑墓・石棺墓・甕棺墓などが確認され、又ガラス玉・碧玉製管玉・鉄剣・刀子・銅釧などの副葬品も検出され、里田原の首長者層の存在が窺える。
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これらの木製品は祭政の祭器として使われた用具のほか、祭政の首長の存在と階級社会の成立を示す資料として注目される。 アジア大陸に近いという地理的環境から、稲作文化・社会の成立と展開過程を探る貴重な発見と云える。 |