前沖遺跡は、阿鳥川によって浸食された河岸段丘上に位置し、昭和55年圃場整備事業に伴う発掘調査の結果、縄文後・晩期の遺構や豊富な遺物が検出された。

 縄文中期後半をピークとして縄文文化は急速に衰退し、気候の寒冷化などの自然環境の変化もその一因とされ、後期以降集落は激減し、又規模の縮小も著しかった。

 これに対して関東地方の海岸部では集落が増加・増大し、大規模な貝塚が出現している。 

遺跡現場T 遺跡現場U

 土した遺構は、炉跡3基・配石跡1基・埋甕2基などわずかであった。

 自然に頼って生活していた上田縄文人は、厳しい自然環境の変化に対応し切れず、この時期生命の安全・集落の繁栄を唯々祈る信仰・呪術に頼らざるを得なかったと考えられる。

信仰・呪術に頼らざるを得なかった当地・当時の典型的な祭祀用具、耳栓・土偶・土製品・石剣・石冠・ミニチュア土製品などを以下紹介する。

飾具を身に付けた呪術者の風習は、単なる飾りではなく、儀礼的な意味を持ち、神聖なる儀式の装いであったと見られる。

 生命の安全を願うための土偶、自然の脅威から人々を守り、狩猟・漁労の豊饒をもたらす土製品・石剣・石冠など祭りや信仰に関係した、多種多様な遺物が検出された。

 寒冷化など自然現象の変化に伴う、当地・当時の厳しい食生活環境が想い起こされる。

(大洞式土器)
叉文・羊歯状文が施された大洞式系土器は、摩消縄文の技法も用いられ、形状・文様とも青森県内縄文晩期の大洞式土器に酷似している。

 この時期寒冷化に伴う、東北縄文人の南下を裏付ける現象かもしれない。

81点にも及ぶ土製耳飾りの中にも、東北系三叉状文様が彫り込まれた精巧な優品が見られるほど、この時期東北地方の影響が強い。

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