新千歳空港の遺跡群は千歳市と苫小牧市の境を流れる美沢川流域に所在し、新千歳空港の滑走路建設に伴い、昭和51年から20年の歳月をかけた大規模な発掘調査により検出された。

 美沢川両岸には約2万年前から近代に至るまで遺跡が連綿と連なり、縄文早期中頃における美沢2遺跡では、大型・中型・小型の住居跡がかたまって集落を形成し、以降縄文時代終わり頃の樽前山大噴火期まで、美沢縄文人は美沢川上流へ、上流へと移動して行ったことが判明したと云う。

 以下美沢川沿岸遺跡群の中で、代表的な美々貝塚及び美々4遺跡について紹介する。

美々貝塚

々貝塚は縄文前期を中心とした貝塚で、縄文海進最盛期に最も内陸に形成された貝塚として知られ、現在の海岸線より約17kmも内陸に位置する。

美々貝塚遺跡

 貝塚は標高約22mの台地上にあり、4ヶ所の地点貝塚群から構成されている。

 尖底深鉢土器をはじめ、つまみ付きナイフ形石器・石斧・石錐・石錘・敲石などの石器や銛頭・骨製刺突具等の漁労具などが見つかっている。

 温暖な気候により山々は豊かな狩猟の場となり、海辺には多くの入江が創られ、格好な漁場を形成したと見られる。

美々貝塚貝層

 層は厚い所で1.1mほど・直径は15m位で、温暖水系のヤマトシジミ・カキ・ウネナシトマヤガイなどが同率で堆積し、それらの貝類に混じり陸産のマイマイ貝類が見つかっている。

 この他にもボラ・スズキ・ウグイなどの暖流系魚類、エゾシカ・イヌ・トドなどの海陸の哺乳類などが出土していることから、漁労・狩猟が活発に行われていたことが窺える。

 又抉入加工の石錘が多量に検出されたことから、集団で行う網漁業が想定される。

美々4遺跡

 文中期後半から晩期中頃にかけ約2,000年間は、美沢川北岸の台地を生活の場として移動していないことから、安定した生活が営まれていた時期と云える。

 又この台地上には集団墓・周提墓が作られるようになった。

美々遺跡環境

 跡の背後に連なる丘陵地帯は現在でもクマ・キツネなどの棲息地域で、冬期間エゾシカが雪の多い日本海側や道中央の高山帯から南下し、太平洋側で越冬するため春秋には数万頭のシカが移動したと云われる。

手稲式土器 堂林式土器

 稲式土器は深鉢・浅鉢・台付・壷・注口土器など器種・器形が大幅に増加し、生活様式の多様化が考えられる。
手稲式の文様は斜行縄文・平行沈線とそれらを繋ぐ弧線などが特徴と云える。

 一方堂林式は口縁部の断面が切り出し形で、突瘤文が巡らされ、平行沈線・鋸歯文・曲線的沈線文が施されている。

イノシシ牙製品 奇形鹿角製品 土偶

暖な気候を背景に、豊かな食糧資源・長期間にわたる集落の定住化・人口増加などの社会的環境変化は、一方で精神生活面での支えを求め、祭祀目的の集会・機会が活発になって行ったと考えられる。
これらの装飾製品や土偶は何らかの祭祀目的に使われたと見られる。

紀元前3,500年頃には寒冷期を迎え、その後温暖と寒冷な気候変化が繰返された中で、道南の先史文化は着々と積み上げられて行ったと云える。

今回もご覧いただきありがとうございます。ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。又のご来訪をお待ち申し上げます!