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正福寺遺跡は今でも湧水の多い湿地帯にあり、これまで7回にわたる発掘調査の結果、縄文から中世にかけて数多くの生活痕跡が見つかっている。 中でも大量の土器・石器のほか、ドングリを貯蔵する穴・編物・木製品などが検出され、縄文後期の日々の暮らし振りが明らかになってきたと云える。 特に平成11年以降、バイパス道路建設工事に伴う第7次発掘調査では、縄文後期の低湿地集落の日常生活を髣髴とさせる遺構・遺物は、当地の歴史に新たな一ページを刻んだことになる。 |
国分町正福寺側のバイパス道路建設工事は現在でも進行中で、第7次調査では谷の斜面から約4000年前のアミカゴ・ドングリなどが多量に出土し、国分縄文人のF生活の知恵や工芸技術を知ることができる貴重な資料として注目されている。 現在の地面を掘り下げていくと約2mの所で大量の土器・石器が出土し、その下からドングリを貯蔵する穴が、約4,000年の時を経て現われたと云う。
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中にはヒモで口を結んでいる袋や把手付のカゴなど当時の形を留めているものもあり、編物技術の高さには目を見張らせる。
カズラと云う植物の蔓を使用し、編み方は“網代編み”や“モジリ編み”と呼ばれる。
中には大量のドングリがそのまま残っていた編片も見られる。 袋の網目は細かいモノから広いモノ、把手のついているモノなど様々で生活の知恵が感じ取れる。 |
編物袋の近くからはドングリを掬う時に使われたと見られる杓子状木製品が出土していた。 谷には湧水が流れ、その水を上手に使用していたと考えられる。
木製品の種類には、他に鉢状木製品や加工木材が見つかっている。 |